足立康史議員の「死ね」発言を擁護する投稿に驚いた。アゴラは自由な言論の広場だから、こういう投稿も掲載するが、編集部として彼のような言論弾圧は容認しないことをお断りしておく。
足立氏が苦しい言い訳をするのはともかく、八幡氏の記事は意味不明だ。
この件については、足立氏の言い分の方が正しい。なんとなれば、「『死ね』という言葉は私自身は許容されると思っていないが、今の国会と日本社会は是としているようなので使った」という言い分はもっともなものだ。もちろん、こうした意識をしっかり持った上でのことでなければ足立氏を支持しない。
これは逆である。「『死ね』という言葉は許容されない」という意識を自分でもっているなら、社会がどうだろうと「死ね」という発言はしないのが常識だ。
さらに足立氏の発言は、単なる表現の問題ではない。彼は公権力を行使する国会議員であり、立法によって朝日新聞の社長を殺すこともできる。これは比喩ではない。治安維持法は「國体ヲ變革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織」する者に、最高刑として死刑を適用すると定めた。
もちろん今は憲法で表現の自由を守っているからこういう立法はできないが、足立氏には憲法を改正する権限もある。国会議員が言論機関に「死ね」と宣告するのは、国家が言論を圧殺するという恫喝であり、表現の自由の侵害である。
彼は朝日新聞社に謝罪して、「死ね」というツイートを削除すべきだ。それは朝日新聞がどんな記事を書いたかとは無関係である。