変な邦題がついているが、原題はWealth of Humans。アダム・スミスの『国富論』をもじったもので、著者はデジタルエコノミーが道を誤るとは主張していない。デジタル技術で人類は豊かになるが、均等にそうなるわけではない。ITを活用するごく一部のエリートは豊かになるが、ITで代替される圧倒的多数の労働者は豊かにならない。
このため労働分配率が低下する傾向が、2000年代に先進国で顕著になってきた。「デフレ」といわれる現象の根本的な原因も、機械との競争で労働が超過供給になり、賃金が低下したことだ。労働の稀少性が他の生産要素より高ければ高い価格がつくが、POSやATMで代替できれば機械と同じ価格になるので、ITが賃金の上限を決めるようになる。
「人類の富」の源泉は知識だが、先進国では教育で豊かになることはできない。医師や弁護士の報酬は教育の対価ではなく免許による独占レントなので、「人づくり」の投資リターンは低い。大学進学率は高くなりすぎ、教育投資は社会的な浪費だ。むしろ国民に共有されるソーシャル・キャピタルのような無形の価値が重要だ。
ITが広がると労働の稀少性がなくなり、超過供給になる。それ自体は避けられない傾向で、世界全体の富の格差は縮小するが、先進国内では拡大するだろう。対策は富の再分配しかない。年金制度のような年齢に依存した社会保障は最悪で、ベーシック・インカムのような一括再分配が望ましい。
デジタル経済の将来について、著者は楽観的だ。世界的にみるとITが広く行き渡って人類は豊かになるが、富の分配は厄介な問題になるだろう。ヨーロッパでは移民や国境ともからんで、政治紛争の原因になっている。ここでもソーシャル・キャピタルを共有し、富を再分配する場としての国が重要である。グローバル化で国の重要性は高まるのだ。