民主化革命を知らない世代の時代

チェコで共産政権が打倒され、民主化へ移行した通称“ビロード革命”が起きて今月17日で28年目を迎えた。首都プラハ市内では民主改革を祝うイベントが各地で開催されたという。ヴァ―ツラフ広場では同日夜、未来へのコンサートが開催され、多数のプラハ市民が28年前の民主化革命を祝った。

チェコでは1968年の自由化路線(通称「プラハの春」)がソ連の軍事介入で後退した後、ソ連のブレジネフ書記長の後押しを受けて「正常化路線」を標榜して権力を掌握したグスタフ・フサーク政権下で民主化運動は停滞したが、反体制派知識人、元外交官、ローマ・カトリック教会聖職者、学生たちが1989年11月17日、結集し、共産政権に民主化を要求して立ち上がっていった。これが“ビロード革命”だ。

▲自宅でインタビューに応じるチェコの民主化運動の中心的指導者だったハベル氏(1988年8月、プラハで撮影)

▲自宅でインタビューに応じるチェコの民主化運動の中心的指導者だったハベル氏(1988年8月、プラハで撮影)

このコラム欄でも紹介したが、チェコスロバキア時代、その民主化プロセスは、チェコ共和国とスロバキア共和国ではまったく異なっていた。チェコでは反体制派活動「憲章77」のヴァスラフ・ハベル氏(Vaclav Havel)らを中心とした政治運動が活発で、スロバキアで宗教の自由を要求したろうそく集会などが行われた。スロバキアでは民主化は宗教の自由の保障を意味したが、チェコでは宗教が大きな民主化の原動力とはならなかった。

ハベル氏の実弟イバン・ハベル氏(Ivan Havel)らが参加した民主化28年祝賀集会では17日、「自由と民主主義はケアしなければ壊れてしまう花だ」という声が聞かれた。また、社会民主党(CSSD)の上院議員イジー・ディーンストビール(Jiri Dienstbier Jr)氏は、「わが国では欧州への懐疑心が高まってきている。民主化時代の主要目標は欧州への統合だったはずだ」と警告を発している。同氏はハベル氏と共に民主化運動を推進し、民主化後、外相に就任したイジー・ディーンストビール氏(任期1989~1992年)の息子だ。

▲チェコ民主化初代外相を務めたイジ―・ディ―ストビール氏(1990年4月28日、プラハ外務省内で撮影)

▲チェコ民主化初代外相を務めたイジ―・ディ―ストビール氏(1990年4月28日、プラハ外務省内で撮影)

冷戦時代、当方は反体制活動家で劇作家ハベル氏と同氏の自宅で会見し、ディーンストビール外相とは民主化後、プラハ外務省でインタビューしたことがある。あれから28年が過ぎ、チェコ連邦の初代民主選出大統領となり、連邦解体後はチェコの初代大統領に就任したハベル氏やディーンストビール外相ら民主革命世代は姿を消していった。そして、ディーンストビール外相の息子らが活躍してきた。共産政権下の弾圧や圧政を体験したことがない革命2世、3世が台頭してきたわけだ。

中欧のチェコで先月20、21日の両日、下院選挙(定数200)が実施された。その結果、メディアから“チェコのトランプ”と呼ばれている資産家、アンドレイ・バビシュ前財務相が率いる新党右派「ANO2011」が得票率約30%、78議席を獲得してトップ。それを追って、第2党には、中道右派の「市民民主党」(ODS)が約11・3%、第3党には「海賊党」、そして第4党に日系人トミオ・オカムラ氏の極右政党「自由と直接民主主義」(SPD)が入った。与党ソボトカ首相の中道左派「社会民主党」(CSSD)は得票率約7・3%で第6党に後退した。

チェコは中欧に位置し、民主化後は国民経済も発展してきたが、同時に、社会の世俗化は急速に進展してきた。欧州連合(EU)への懐疑心も高まり、難民政策ではハンガリーと共に難民受け入れに強く反対してきた。同時に、チェコでは冷戦後、神を信じない国民が増えた。ワシントンDCのシンクタンク「ビューリサーチ・センター」の宗教の多様性調査によると、チェコでは無神論者、不可知論者などを含む無宗教の割合が76・4%と、キリスト教文化圏の国で考えられないほど高い。(「『フス事件の克服』問われるチェコ」2011年5月26日参考)。

総選挙で第1党となった新党右派「ANO2011」主導の連立交渉が現在、進行中だ。物質的消費社会の激流に流されることなく、チェコが発展していくためには国家の核となる精神的価値観を見つけ出さなければならないだろう。いずれにしても、チェコの民主化革命から28年が過ぎた今日、その責任は革命を知らない2世、3世たちに委ねられているわけだ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年11月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。