要らぬなら殺してしまえ「完成規則」

北村 隆司

横浜の日産本社(写真AC:編集部)

国土交通省は「完成車検査」の工程に、無資格の作業者が混じっていた点が違法だとして日産を摘発したが、同じ様な規則違反が明らかになったスバルと合わせるとリコールが160万台を超える事態に発展した。

この事件に飛びついたマスコミは一斉に日産を非難し、中には品質基準を改竄した神鋼と規制の手順違反の日産を同次元に並べ「神鋼、日産…不祥事に歯止めがかからない」とか「無資格者の検査による精度は疑問がある」等と無責任な憶測報道が氾濫した。

一方海外では、「完成車の点検は日本国内車に限り適用される規制」だと嘲笑気味に報道されても、日本では殆んど報道されず、吉川賢一氏(注1)の的確は技術解説や、井上久男氏(注2)の本質を突いた記事などは例外であった。

かく言う私も「無資格者が検査していても、輸出車の出荷はOKだ」と言う事実は、井上氏のレポートを読んで初めて知った。

それだけではない。国交省が根拠法とする「完成検査実施規程」(注3)は、規定その物が曖昧で、恣意判断なしには運用出来ない代物である。

この種の粗雑で合理性を欠いた規定で、国民と企業が大被害を受けた事例は他に多々見られる。

その一つは、国の承認と異なる方法で血液製剤などを製造したとして、昨年初頭に厚労省に摘発され、110日間の業務停止と言う製薬企業最大の行政処分を受けた化血研事件である。

この時も、同じ製法で作られたワクチンや血液製剤製品のうち、他社が代替できない27製品は引き続き、製造・出荷が認められた。製法違反と言いながら同じ製法で生産された製品でも品目によっては製造がが許される様では、規制その物の合理的な説明が出来ない。

製造品目が薬品だけに、厳しい製造手順は必要で、化血研のコンプライアンス違反の責任は厳しく追及されなければならない。

とは言え、化血研の技術力と品質の高さから、他社では代替出来ない製品が27種にも上った事と永年に亘り無事故であった事実は、違反と指摘された製造手順が安全且安価であった証拠である。

この不合理な行政処分により、化血研は企業の存続も危機に立たされ、従業員は勿論、患者にも大きな不安を与えたが、この時もマスコミは化血研非難ばかりで、法令そのものの不合理に疑問を投げかけた報道はなかった。

厚労省が国民の福利と技術の進歩による価格の低廉化に関心があるなら、化血研の製造手順に学び規則の改善をするのが筋であった。

いずれにせよ、日産や化血研が不合理な規制に抗議もせずに、コンプライアンス違反を犯した責任は逃れられる訳はなく、誤魔化しが常態化する社風を生み出した経営者の責任は重い。

日本の行政のもう一つの罪は、不勉強なのか不遜なのか知らないが、科学の発展に目をつむり、行動が遅くなる事だ。

例えば、先進各国で既に禁止していた非加熱製剤の製造を認め続けていた日本では、それを使用した全血友病患者の約4割にあたる1800人がHIVに感染し、そのうち600人以上が死亡した薬外事件でも、行政の不備に対する組織的な処罰はなかった。

殆んどの先進諸国で解決済みのアスベスト問題が日本では多数の死傷者を出しながら未解決なのも、世界の潮流に逆らった日本の誤ったアスベスト行政と対応の遅れが原因である。国民には国が決めた事例を遵守する義務がある事は当然であるが、規制策定のプロセスと不合理な規制を監視する権利意識が薄すぎるのも問題である。

不必要な規制で日産だけでも半期の損害400億。日産、スバル両社を併せたリコールは160万台を超え、車の所有者がリコールサービスを受ける為に車を持ち込むために使う時間も、1台あたり1時間と控え目に見積もっても160万時間に達する。顧客の迷惑は勿論、国の経済や税収に与える打撃も半端ではない。

ビジネス環境の良さを国別に計測したエコノミスト誌の最新の調査報告によれば、先進30カ国の中で日本は27位に低迷している事実からも日本の過剰規制が充分推測出来る。

総務省行政管理局のデータによると、8,307本ある日本の法令(法律と命令の合計)のうち、議会を通過した法律は1,967本に。過ぎず、残りの6,340本は、命令(行政機関が制定する法規範)が占めている。

石井国交相は「規則に見直す点がないか検討する」と発言したがその雰囲気から、規則の廃止より寧ろ検査員の資格を国家資格にするなど改悪方向に向う事が懸念される。

批判ばかりでは事勿れ主義の役人気質を益々助長するだけに終りかねないので、これを契機に行政命令の総ざらいを行ない、悪しき行政命令の発見、廃止を官民から募集する英米の制度を導入したらどうだろう。

規制や規則の合理化、簡素化が進めば、消費税の増税幅の縮小やエコノミスト誌の日本のランキングの上昇にも役立つ筈だ。

「悪法もまた法なり」と言う言葉を「たとえ悪い法律であっても、法は法であるから守らなければならない」意味だと教えるられて来た日本では、「ルールを破る人、人とは違うことをする人を賞賛しない」と言う独特な国民性を生んだ。

国際化が進む現在の世界では「従順さ」や「辛抱強さ」は必ずしも「徳」とは言えない時代である。国民もまた、「政府は善、企業は悪」と言う日本独特の官尊民卑の価値観から卒業し、積極的に行政の改善に参加する時期である。

家康の時代は終り、世界は信長の様に「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」時代に突入している。「完成検査実施規程」などの不要な行政命令は、「殺してしまえ」と言う世論の力で廃棄させるくらいの国民に脱皮すべきである。

参照
吉川 賢一 日産の「完成車検査」不備問題、どこに「無資格の検査員」が入ったのか?(クリッカー)
井上 久男 日産「無資格検査」を誘発した、時代遅れの国交省の認証制度(現代ビジネス)
完成検査実施規程