記憶力と創造力

アルベルト・アインシュタインの言葉に、「調べられるものを、いちいち覚えておく必要などない」というのがありますが、私などもこのような考え方をしています。

人間の脳のキャパシティから考えて、何もかも全てを記憶に留めておくのは不可能です。非常に高い記憶力を持つ人がいる一方で、それとは真逆の人もいて、人によりその能力は様々です。しかしながら、そこに限りがあるという点に違いはありません。

従って、何もかもを覚えようとするのでなく、「覚えておくもの、覚えておく必要のないもの」を峻別し、更には今覚えておくことが暫くの間は必要だとか、「長期で必要だと思えるもの、長期では別に必要ないと思えるもの」といった形で記憶した方が良いと思います。

例えば、小学校から中学校そして高校に進学する時に、勉強した内容の多くはその後の日常生活と関係ないものは、忘れるという人が殆どだと思いますが、忘れたからと言ってその後生きて行く上で、何ら困ることはなかったでしょう。

最早、従来のように人間に暗記力・記憶力というものは必要とされていないのではないでしょうか。何でも彼でも正確に覚えねばならないのではなくて、過去の色々な事柄の蓄積から人間社会が繰り返す傾向といった類を認識し、朧(おぼろ)げながら直感力が働いて行き正しい判断がつけば良いのではないでしょうか。

何より大事なことはやはり、より創造性豊かにものを考えることだと思います。勿論、過去の知識や経験等をベースにしながら新しいものが出てくる場合も多いのですが、私としては夢が先にあり、その夢を達成して行く中で革新的な創造が起こるものと思っています。

例えば、「私も空を飛んでみたい」と夢を持ち、鳥が羽を一生懸命バタバタさせているのを見ては、羽を動かすようしたら良いのではと考えて、バタバタ動くものを作ってみるわけです。

そしてその後、空気抵抗を上手く利用したら良いのでは等々と考え抜き改良に改良を重ねて行く中で、段々と飛行機の形態が定まって行ったのでしょうし、そこに技術が生まれてきたのだろうと思います。

嘗て「今日の大学(3)」で私は、「知(ち)を致(いた)すは物(もの)に格(いた)るにあり…良知を極めようとするならば先ず事物の理をきわめなければならない」とツイートしたことがありますが、経験法則的にも様々に理を極めて行きますと、正に此の「格物致知(かくぶつちち)」の世界というのが出来てくるのだと思います。

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