「涙」を武器に、女性は指導者になれるのか

河井 あんり

GATAGより:編集部

シッター代を税金で見てもらえなかったために赤ん坊を議会に連れて入ったというこの市議の言い分は、こうして連日肯定的に大きく取り上げられています。彼女の主張を一言で表せば、「子供を持つ議員は子育てのために税金を投入してもらう権利がある」ということでしょうか。最終的に決定するのは熊本市民ですが、私はこの件に関する報道を目にするたび、通勤の途中、公用車で議員会館内の託児施設に立ち寄ったことを日本中の老若男女あげて一斉に非難された金子めぐみさんのことを考えてしまうのです。

彼女のケースこそ、仕事をしながら子育てをする女性、管理職に上り詰めた女性、そして各議会に所属する女性議員は、揃って擁護すべきだったのではないか。私は、金子めぐみさんがひどいバッシングを受けているのを見ながら、この国で女性が管理職として活躍することの困難さを改めて感じました。

金子さんは当時、政務官の職に就いていました。政務官とは、昔でいう政務次官のことです。現在、霞が関の各省で国会議員にあてられているのは、大臣、副大臣、政務官の3つの役職であり、政務官は大体2回生あたりから任命されます。いわば、国会議員としてのキャリアの入り口です。当然に朝から夜遅くまで公務、政務が入ってくる中で、多忙を極めます。週末は地元に帰って自分の選挙活動もありますから、基本的に休日は一日もありません。

国会議員と地方議員の仕事量の違いは歴然としています。それは、国政と地方政治の制度の違いによります。国政は議院内閣制であるのに対し、地方政治は知事を行政機関のトップとする大統領制。地方議員には予算提案権がありません。地方議員が議会で何をしているかといえば、知事など、自治体の首長の出して来る予算案について欠けている点を指摘する、というのが主な役割です。国会議員と地方議員は、全く異なる業種と考えていただいた方が良いかもしれません。

地方議員の議会における役割が受動的であり、能動的な仕事でありにくいために、殆どの地方議会は年間を通しては開会されていません。広島県議会の開会日数は、各種委員会を含めても大体、年間80日程度。以前私は、全国の各都道府県議会で支給されている報酬+政務活動費を各議会本会議の会期日数で割り、本会議に一日出席すると議員はいくらもらっているのか、計算したことがあります。最高が東京都議会で27万円くらい。全国の都道府県議会議員の平均的な「日給」は20万円にものぼります。熊本市を含む政令市でも、おそらくかなりの「日給」が支給されていることだと思います。

地方議員の報酬額の多寡とそれが仕事の質量に見合っているかの議論は他に譲るとして、子連れ市議の働く環境というのは、ほかの職種と比べてもかなり融通が利いているということです(しかも言うまでもなく有り得ないほど恵まれています)。一方、政務官として働いていた金子さんは管理職の地位にあり、世の中の多くの子育て中の若い女性会社員と比較するのは酷なように思います。

金子さんがバッシングされていたとき、公用車に赤ん坊を乗せて託児施設に立ち寄るのは悪いことだとされ、車を乗り換えるなり徒歩か自転車で子供を送ってから公用車を使え、と、世論のほとんどは口角泡を飛ばして追求していたものでした。しかしそれこそ、そんなことを言っていたら子供を育てながら政府の役職を務めるなど無理ではないか。金子さんとは全く面識はありませんが、おそらく彼女は、絶望感でいっぱいだったのではないでしょうか。

私もあの報道に接し、女性が指導的立場をとりながら子育てをすることの負担があまりにも大きいことに絶望しましたし、女性国会議員が世論を恐れて誰一人として彼女を庇ってあげない様子も腹ただしく感じられたものです。もちろん、金子さん自身も、これはこれから管理者的立場に就くであろう女性国会議員にとって必要な措置である、と、断固戦うべきでした。しかし、四面楚歌の状況でそれは大変困難なことだったろうと思います。

ここには二つの問題があります。ひとつは、子連れ市議の例とも共通する「子育て中の女性は仕事とプライベートが止むを得ず一体化してしまうものである」という女性としての身体的、生理的な問題に対して、社会一般のルールと子供を産んだという個人的都合とのバランスをどう取るのか、社会はどこまで彼女のパーソナルな事情に譲歩すべきかということについて答えが出ていないということです。そしてもう一つは、管理職の立場に立つ女性が同時に子育てを行うことを日本社会がまだ全く想定していないために、社会の想像力が明らかに欠如していたということです。

子育て中の若い女性などからネットなどで金子さんへ寄せられていた厳しい声を読み解けば、あなただけ恵まれて許せない、というようなものが多く見受けられました。管理職に就くことも恵まれているし、子どもを育てていることも恵まれている。さらにはそれを、国民の税金で動かしている公用車で送り迎えしている…

認めたくないことではありますが、女性がヒラの立場で活躍するには門戸が開かれていても、指導的立場に立つことについては、仲間であるはずの女性からも支持を得にくい状況があるのではないでしょうか。

かくいう私は以前、広島県知事選挙に立候補したことがあります。通常の県議選ではそれなりの女性票をいただいている私でしたが、県知事選挙の出口調査の結果を見ると、女性、特に中高年以上の女性からの支持は、かなり厳しい数字でした。比較するのも不遜ですが、ヒラリークリントンも、大統領選においては女性票で非常に苦労されたと聞いています。社会的な女性指導者というイメージは、おそらく、女性のイメージとしては強すぎるのです。女性指導者があまりにも少ないことから、女性自身が、女性がリーダーを務めることは不可能だと考えがちです。女性たち自身が女性の能力を信じ、私たちも大きな役割を果たせるのだ、と考えを変えることが必要なのです。

多くの女性が自ら「女性=弱い性」と定義しています。中には、その弱さを武器にしようとする女性もいます。この子連れ市議がゲリラ的な手法を取ったこと、おじさんvs女性という対立構図を自ら演出したこと、最終的には泣いて弱さをアピールしたことも、その意識の表れではないでしょうか。こうでもしないと問題があぶりだせなかったとして、今回のやり方を擁護する声もありますが、彼女のアプローチの仕方は、女性であることの社会的な限界を自ら作り出していると私には感じられます。

私たち女性は、強く、論理的なやり方でこの現状を自ら変えなければならないのに、問題点を感情的にしか訴えていない。それで一時的に世間の耳目を集めることになったとしても、物事は変わりません。いじめられた弱さをアピールしても、それは力のある人たちに改革を迫っているに過ぎず、改革を先導するのはいじめっ子の方です。自分の力で変えることにはならないのです。その程度で満足するな、と私は言いたいのです。

女性の権利をめぐるこれまでの歴史は戦いの歴史でした。これからもそれは同じです。私たちは、弱さと涙を武器にするのではなく、強く、意思を持って戦わなければなりません。でなければ、私たち女性が本当の意味での指導的立場を獲得することは不可能でしょう。

河井 あんり 広島県議会議員(広島市安佐南区選挙区、自民党)
慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 修士課程修了。(財)海洋科学技術センター(現・海洋研究開発機構)地球フロンティア研究システム、科学技術振興事業団(現・科学技術振興機構)、広島文化短期大学非常勤講師を経て、2003年初当選(現在4期目)。公式サイト