中国南方の方言と日本語に共通する発音

「日中文化コミュニケーション」の授業で、地元・汕頭(スワトウ)出身の英語学科女子学生が興味深い研究発表をした。研究課題は広義の文化に関することであれば何でも認めているので、彼女は自分が使っている方言の由来と日本語の共通点をテーマにした。

習近平は「中華民族の偉大な復興」をスローガンに掲げ、その柱の一つとして「伝統文化の継承」を強調する。孔子や孟子、老荘思想までがしばしば引用されるが、身近な生活文化は軽視されている。かつて迷信、封建思想として破壊した伝統文化の復権は容易でない。国家が強くなると個人が弱くなる、の典型だ。

だから若者たちは、自分が育った環境に残る、あるいは捨てられた、文化に対し非常に鈍感だ。伝統的な祝日も復活したばかりで、詳しい由来を知らない。通過儀礼も廃れ、成人式は形骸化している。身近な生活の中で伝統を実感する経験が欠ける一方、これは日本にも共通しているが、バレンタインやクリスマスにはわけもわからず商業PRに乗せられ、プレゼントに熱中する。

授業では私が日本の祝祭日や通過儀礼、伝統儀式を紹介したり、学生たちが自主的に調べたりする中でしばしば、それらがとどめる中国の起源にぶつかり、逆に中国の伝統を再認識する「文化の循環」を体験する。それが授業の主要な意義にもなっている。

彼女が行った研究は『潮汕語の中の古文』。福建省に接する広東省潮州・汕頭市、潮汕地区で話される潮汕語は、広東語とは異なり、福建の閩南語系に属する特殊な方言だ。共通語の声調は四通りだが、潮汕語には八声ある。中原から南方に流れ着いた人々の一部は福建に定住し、その後、そこから潮汕に移り住む者たちが出た。だから福建の名残を残している。潮汕語を調べれば、古代中国語の痕跡を見出すことができる、というのが彼女の研究だ。

同様の研究は多くあるが、彼女は第二外国語に日本語を選択していて、潮汕語と日本語の類似点に言及した点でユニークだ。彼女は日本語を学びながら、自分の話す方言と似た発音が多数あるのに気付いた。彼女が列挙したのは、以下の例だ。

料理(リョウリ)
独身(ドクシン)
準備(ジュンビ)
新聞社(シンブンシャ)
運動(ウンドウ)
失敗(シッパイ)
注意(チュウイ)
安心(アンシン)
注射(チュウシャ)
自由(ジユウ)
先生(センセイ)
優秀(ユウシュウ)
何処(ドコ)

教室では、私が日本語で、続いて彼女が方言で発音してみたが、一語一語にみなが「オー」と声を上げるほど、確かにそっくりだった。

ほかにもある。共通語で「走」は「歩く」の意味だが、潮汕語では日本語と同じ「走る」の意味を残している。共通語では「米を煮る」だが、潮汕語では日本語と同じ「米を炊く」、日本語の「新郎新婦」は中国語では「新郎新娘」だが、潮汕語では嫁をいまだに「新婦」と呼ぶ。おそらく深く調べれば、もっと見つかるに違いない。

文化は伝播した辺境の地において、しばしば原型をとどめる。山や海に囲まれ、外部との交通が遮断されていれば、原型の濃度はそれだけ高まることになる。一方、文化の中心はひっきりなしに他民族が出入りし、異文化の影響を受けるので、絶えず変化を強いられる。

柳田国男が『蝸牛考』で説いた方言周圏論を援用することもできる。柳田国男は、京都を中心に、蝸牛=カタツムリの名称がデデムシ、マイマイと同心円状ごとに共通し、しかも、呼び方が中心より離れているほど古いことを発見した。つまり中心から周辺に伝播し、外縁にこそ古い原型が残っているのである。潮汕語と日本語の発音の酷似は、まさにこの説を裏書きするものだ。

中国古代の漢字の発音が、一つは山を越えて南方に行き止まり、一つは海を隔てて島国に流れ着き、その二つが数千年を経て出会った、と考えればワクワクしてくる。大学の教室で、時空を超えた出会いに驚きを感じた瞬間だった。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年12月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。