豊洲市場:工事の遅れは本当に小池知事のせいなのか? --- 伊藤 悠

寄稿

Facebook「東京都知事 小池百合子の活動レポート」より(編集部)

「小池知事のせいで、豊洲新市場の開場が遅れている」というご指摘について触れておきたいと思います。

今年6月20日、小池知事は「築地は守る、豊洲を活かす」との大方針のもとに、豊洲新市場への移転方針を表明しました。都議選終了後、小池知事は39年ぶりの臨時会を招集し、盛り土がなかった問題の埋め合わせをする対策工事費等55億円の補正予算を組んで、現在はその執行にあたっているところです。

しかし、「工事の遅れは小池知事のせいだ」との批判が絶えません。

そこで、論点を時系列で整理しておきたいと思います。

まず、豊洲新市場の開場が予定されていたのは昨年11月です。しかし、地下水のモニタリング調査が完全に終わっていないことから、小池知事が「待った」をかけて、昨年8月31日に開場延期を決断しました。

その10日後の9月10日には、あるはずの「盛り土」がなかったことが発覚し、市場の移転推進派からも「疑問」の声が続出しました。さらに、その後、地下水モニタリング調査からは環境基準超えの有害物質が見つかり、都民の不安と不信はピークに達します。

もし、予定どおり昨年11月に新市場を開場していたらどうなっていたでしょうか。盛り土に対する追加対策工事も、営業中の新市場内で簡単にできるわけもなく、不安と不信の連鎖で市場は大混乱に陥っていたと推測されます。

その後、2度の地下水モニタリング調査の結果を見届け、都庁内の検討を踏まえ、小池知事は今年6月20日に「築地は守る、豊洲を活かす」との方針を打ち出し、都議選直後には「盛り土問題」に対する追加対策工事費55億円の補正予算を議会に提出しました。

現在は追加対策工事の入札段階にあります。ここでも入札の不調が相次いでいることから「小池知事が遅らせている」との指摘がありますが、どうでしょうか。

入札が不調になっている原因を分析すると、工事の難しさに原因がありそうです。特に、入札にかかっている「地下水管理システム」は、いわば豊洲市場の特注品で、大量生産できる代物ではありません。その上、市場の地下に溜まっている地下水を汲み上げて排出するため、土を吸い込み、目詰まりを起こしやすい仕組みである上に、想定の汲み上げ量に達しなかった場合の工事への批判を考えれば、素人でも非常に難易度の高い工事案件と言えます。

しかしながら、公表された工事価格を見ると、この難易度が考慮されていない通常価格の積算で入札が行われていることが分かります。すなわち、最初からこの難易度の高さを考慮した発注になっていれば、入札不調を避けられた可能性が高いのです。

もう一つ、小池知事が安全宣言をしていないことを理由に、開場日が決まらないとの見解があります。しかし、現在、追加対策工事がこれから行われるところであり、工事が完了していないにもかかわらず、安全宣言を行うことは専門家会議の提言をも無視することになりかねません。

「知事が安全宣言を出してくれれば、豊洲で安心して商売できるようになる」との市場関係者の切実な声は、私たちにもしっかり届いており、小池知事も「安全面での条件がそろった段階で安全、安心な市場であることを私が発信する」と表明しています。

今、もっとも重要なことは、「盛り土問題」で不信感を募らせた市場関係者の皆さんの東京都への不信感の払拭です。しかし、信頼回復しなければ前へ進めない市場業者の思いとは裏腹に、未だに豊洲新市場のコンセントがターレーの電源に合っていないなど課題は山積です。そうした市場関係者の要望に対し、都の回答は「検討します」がほとんどで、市場関係者の不信を高めてしまっているのです。

そこで、都民ファーストの会に市場政策プロジェクトチームを設置し、私が座長となって、仲卸の皆さん、場外市場の皆さんから要望事項を受け取り、都と協議を繰り返しています。早朝の豊洲までの足をどうするのか、豊洲の駐車場不足やオフィス不足の解消など取り組む課題は山ほどあります。

豊洲新市場の開場が遅れたのは、市場の安心安全を徹底できなかったこれまでの都の対応とそれを看過してきた都議会の責任によるところが大きく、その責任を他に転嫁することがあってはなりません。看過してきた都議会の責任として、市場関係者の皆様との対話を増やし、都への要望の橋渡し役となることで、都と市場関係者の信頼醸成をはかり、豊洲新市場への円滑な移転を後押ししたいと考えています。

12月20日には都への予算要望が待っています。都民ファーストの会として市場関係者の皆さんの要望を重点項目に入れて実現をはかり、職責を全うしていきます。

伊藤 悠(いとうゆう)東京都議会議員(目黒区選出)、都民ファーストの会 政調会長代理
1976年生まれ。早稲田大学卒業後、目黒区議を経て、2005年の都議選で民主党(当時)から出馬し初当選。13年都議選では3選はならずも、17年都議選では都民ファーストの会から立候補し、トップ当選で返り咲いた(3期目)。都民ファーストの会では、政調会長代理と市場政策プロジェクトチーム座長を務める。