モザイク都市が直面する試練

エルサレム、サラエボ、そしてベイルートの3都市の運命を考えている。3都市はいずれも多宗派が共存、ないしは共存してきた都市だ。俗にモザイク都市だ。その3都市が今、存続の危機に直面しているのだ。
3都市の運命は、単に3都市だけに限定された地域問題ではなく、大げさな表現をするならば、人類は国家、民族、宗派の壁を越えて果たして共存できるか、といった地球レベルの問題と考えるべきだろう。そこで、3都市の現状を振り返ってみた。

【エルサレム】
エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの唯一神教の聖地だ。世界各地から多くの巡礼者が訪れる国際都市だ。そのエルサレムをイスラエルの首都と認知したトランプ米大統領の発言は、中東・アラブ全域で大きな反響を与えている。特に、パレスチナ人の地域では怒りと暴動が起きている。
エルサレムの帰属問題はこれまで中東の大きな争点として残されてきた。国連レベルでは1947年の国連決議に基づき、東西に分割され、西エルサレムはイスラエルが、東エルサレムはヨルダンがそれぞれ管理することになっていた。1967年6月5日から10日の6日戦争(第3次中東戦争)後、イスラエルは一旦、両エルサレムを併合したが、国連安保理でその併合は無効と宣言されて今日に至っている。イスラエルはその後も「エルサレム法」を採決して、「完全で統合されたエルサレムをイスラエルの首都とする」と表明している。パレスチナとイスラエルの2国家創設案が出て、中東和平交渉が行われてきたが、暗礁に乗り上げていた時、トランプ大統領が選挙公約に従い、エルサレムをイスラエルの首都として認知すると発表したわけだ。

【サラエボ】
民族が交差する国家、旧ユーゴスラビア連邦時代、サラエボはボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の首都だった。サラエボで冬季五輪大会(1984年)が開催されたこともあった。イスラム系、セルビア系、そしてクロアチア系の住民が共に住み、サラエボは“バルカンのベイルート”と呼ばれるほど、多民族、多宗派が共存する国際都市の様相を呈していた。

▲クロアチア系住民とイスラム系住民間を結ぶボスニアの「スタリ・モスト橋」(2005年11月、ボスニアのモスタル市で撮影)

▲クロアチア系住民とイスラム系住民間を結ぶボスニアの「スタリ・モスト橋」(2005年11月、ボスニアのモスタル市で撮影)

そこに20万人の犠牲者、200万人の難民・避難民を出した欧州戦後最大の民族紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992~95年)が発生。デイトン和平協定に基づき、ボスニアはイスラム系とクロアチア系が多数を占めるボスニア連邦とセルビア系住民が支配するスルプスカ共和国の二つの構成体からなる連邦国家となったことはまだ記憶に新しい。
デイトン和平協定が締結されて今年12月で22年目を迎えたが、ボスニア紛争後の過去20年は残念ながらサクセス・ストーリーではなかった。「ウィーン国際比較経済研究所」(WIIW)の上級エコノミスト、ウラジミール・グリゴロフ氏によると、「民族紛争によって大部分の産業インフラは破壊され、多くの国民は国外に逃げていった。失業率は現在30%に近い。特に、青年の失業率は50%にもなる」という。
ちなみに、サラエボにはサウジアラビア、イランから巨額の資金が流れ込み、イスラム寺院の建設ブームを迎えている。同時に、イスラムの過激主義が席巻してきた。

【ベイルート】
レバノンは久しくモザイク国家と呼ばれ、その首都ベイルートには多数の宗派が共存してきた。英歴史学者アーノルド・J・トインビーは「レバノンは宗教の博物館だ」と指摘したように、同国には20を超える宗教、宗派が共存してきた。主要宗教はキリスト教マロン派、スンニ派、シーア派の3宗派だ。同国の政治システムも宗教によって分かれ、議席もキリスト教徒とイスラム教は同数となっている。「国民協約」に従い、大統領はマロン派、首相はスンニ派、国家議長はシーア派の政治家から選出されることになっている。

同国では1975年から90年、キリスト教、イスラム教の各民兵組織の武力衝突が起こり、内戦が勃発。後にはイスラエル軍もレバノンに侵攻するなど、レバノンは長い内戦の舞台となってきた。
レバノンでは最近、イランの軍事支援を受けたシーア派武装組織ヒズボラが躍進してきた。スンニ派のハリリ首相は10月、自身の生命が危なくなったとしてサウジのリヤドに逃避行したが、レバノン側は、「ハリリ首相暗殺計画はない」と否定し、サウジがイランを批判するために作り上げた話だといった情報も流れている……といった具合で、レバノンはスンニ派の盟主サウジアラビアとシーア派代表イランの代理戦争の舞台となっている。

上記の3都市のキーワードを探すとすれば、「宗教」であり、その信仰対象の「神」だ。異なる宗教、宗派が自身の信じる「神」を掲げて生きてきた。共存した時代もあったが、戦いが発生したこともあった。残念だが、エルサレムの帰属問題は依然、イスラエルとパレスチナの間で未解決のままな状況であり、ベイルートはサウジとイランの代理戦争の様相を深め、サラエボではイスラム系、クロアチア系、セルビア系の3民族の間で和解から程遠い「冷たい和平」(ウォルフガング・ぺトリッチュ元ボスニア和平履行会議上級代表)状況が続いている。

エルサレム、サラエボ、そしてベイルートでその多様性が尊重され、多宗教、宗派の人々が共存できる社会とならない限り、「世界の平和」はしょせん絵に描いた餅と言わざるを得ないだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年12月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。