かつて阪神のバース選手へのいやがらせの数々があった。1985年には王の本塁打王の記録を破らせないために、王監督のジャイアンツは最終試合で敬遠気味の投球を続けた。この事件があるがゆえに、王監督がはたして偉大な野球人というべきか私はいつも疑問に思う。また、1988年のシーズンには、子息の水頭症の治療をめぐって球団と対立し退団に追い込まれた。
いまでは、こうした扱いは悪質な排撃だったという人が多いが、当時はそうでもなかった。日本社会で出しゃばりすぎ、郷に従えば郷に従えというルールに従わない困った選手という受け止めの人が多かった(私は当時から巨人や阪神の日本人が悪いと思ったが)。
私は今回の一連の事件でのモンゴル力士への心ない攻撃は、あのときのバース選手に対するそれを思い起こさせ、本当に恥ずかしいと思う。とくに白鵬に対する攻撃はそうだ。日馬富士の暴力を止めるのが遅かったことは、それだけを批判すれば良いのであって、日ごろの相撲そのものや、その他の言動は関係ない。
この問題については、何度も書いてきたが、ここで少し要点をまとめておきたいと思う。
①かち上げや張り手などを多用することにつき、横綱は受けて立つ横綱相撲をすべきだという。しかし、受けて立つ横綱相撲は、明治時代の大横綱である常陸山のスタイルをもって理想としているだけで、双葉山や大鵬など体格にめぐまれているがスピードがそれほどでもない大型力士が、相手をつかまえて、四つ相撲から相手をねじ伏せるという、肥満体大型力士がその体格を活かして波乱が起きない安全サイドの押しくら饅頭型の相撲であって、確実に勝てるかも知れないが、おもしろくもない。
少なくともその人の体系に合致したひとつのスタイルに過ぎない。白鵬の張り手なども使うスタイルは、史上最強力士と言われる雷電為右衛門や大正時代の太刀山などに似たもので邪道でない。他の技に比べて明らかに危険というなら、反則とすればいいが、白鵬のこうした技で休場者が出たとも聞かない。
②行司の審判に物言いをつけて、後に厳重注意されたが、力士がみずから物言いをつけられないがゆえに、過去にも数々の誤審事件が起きて泣き寝入りになっている。史上最強横綱という立場の強さを活かして、悪習に対して問題提起するのがそんなに悪いことか。横綱ともあろうものがというが、平幕力士なら相対的に許されるのか?長い慣習への問題提起は、偉大なスポーツ選手やアーティストであればこそ許されることのほうが普通だろう。
③万歳三唱を勝手に観衆に呼びかけた。これも、前人未到の40回優勝を果たした力士なら、これまでの前例を破った形で喜びを表現するとか、日馬富士や貴ノ岩とまた土俵に上がりたいと意見を表明することくらいなにが悪いのか。こういう従来と違うやり方が定着するか、二度と誰もやらないかは、観衆の反応などによるわけで、場合によっては批判覚悟で白鵬がやったとしても悪いとは思わない。私はとても好感を持ったし、観客の反応も悪くなかった。
④「貴乃花親方が巡業部長なら行きたくない」という趣旨の発言をした。「行きたくない」とは言っていないことが後に報じられたが、貴乃花親方の外国人力士への差別的で横柄な態度とか、独断での恣意的な運営には不満が出ていた。正規ルートが力士会からの要望だとしても、せっかく全力士や親方が集まっている機会に横綱の責任において問題提起して何が悪い。
⑤巡業中に和服ではなく“MONGOLIAN TEAM”のジャージを着ていたといいうが、入浴後にモンゴル相撲協会から善意で贈られたものを贈ったこういう団体の行為に応えるために少し着用してみせたとしても非難するようなことか。貴乃花親方のマフィア風の服装のほうがよほど問題だ。
⑥親方になるために帰化が必要だという規定が改正されれてもいいのではないかと発言したことはあるが、要望としていってもいけなのか。理事になることは規制しても親方は構わないのでないかとか、外国人力士は別の形で相撲界に残れるようにするとか考えてもいいはず。国会議員ですら二重国籍の不届き者がいるのに不均衡だ。
⑦国技への敬意が足らないというが、白鵬はかねてから真摯に相撲の歴史など勉強して明治天皇や大久保利通が相撲を残すことに尽力してくれたことの感謝を語るなどしている。相撲界の不祥事で優勝したにもかかわらず天皇賜杯をもらえなかったときには無念さに涙し陛下から勅使を派遣されてお褒めを頂いている。また、大震災のあとには各地で土俵入りを披露して神の怒りを鎮めようと記念するなど日本人力士よりむしろ模範的である。
貴ノ岩は日馬富士の引退を望んでいなかったのに発言の機会を貴乃花に奪われた?
そもそも最も批判されるべきなのは貴乃花である。親方として真摯に弟子育成に取り組まないために10年も関取を育てられず、モンゴル力士嫌いのくせにすでにアマで実績のある貴ノ岩をもらってお茶を濁した。
その一方で、貴ノ岩にはモンゴル力士との交際を制限したが、異国の言葉も十分に通じない土地でそういうことをするのは、酷であり人権侵害だ。アメリカ南部の黒人奴隷でも他の農園の奴隷たちとの交流くらいさせてもらっていた。情報交換などされると管理しにくいからだろうが、最悪のブラック企業だ。
普通なら相談相手になってくれるモンゴルの先輩との交流ができないなかで、貴ノ岩が大酒を呑んで、ある報道によると、自分がモンゴル力士のサークルに入ってないので負け越したなどと暴言を吐いたともいう(八百長に参加しなかったので負け越したなどということがあるはずがない。八百長に参加してわざと負けたので負け越したというなら分かるが反対はあり得ない)。
相撲協会の報告書(日経新聞の記事を参照)では、上記の経緯は触れられていないが、貴ノ岩が一般モンゴル人客を巻き込んで他の力士と言い争ったという。いずれにしても、白鵬など先輩たちから最大限に叱られるのは当たり前だろう。
そのときの、日馬富士の暴力は、たとえ、貴ノ岩の態度が悪かったとしても、正当化の余地はまったくないが(私はあらゆる体罰に無条件に反対で効用を認めない意見だ)、ただ、格闘技選手のあいだのことであるから一般人に対する同程度の暴力を振るった場合とか、弱って抵抗力を失った力士にしごきを続けた事件と、危険性は根本的に違うのであって、それらと同じようなものとするべきかは慎重に評価するべきものだろう。
診察した医師も九州場所への出場は可能だったはずといっているし、翌日には貴ノ岩の恩師と見られる人のすすめで貴ノ岩が自主的に日馬富士に詫びを入れ握手しているから(恩師と見られる人のすすめで握手したが納得していていたわけでないと現在はいっているようだ)、頑丈な身体を持つ力士にとってはということだが、傍目から見て深刻な状況ではなかった可能性もある。
もちろん、貴乃花親方が泣き寝入りするなといい、協会に善処を求めたり、警察に相談するように勧めるのはひとつの見識だ。ただ、協会の聴取を拒否するように強要したり、日馬富士が引退するようなことにはして欲しくないとういう貴ノ岩の希望を公にする機会を与えなかったことはおかしい。それは、貴ノ岩が自分で決める話だ。
普通に考えて、職場仲間でのこういうトラブルで、被害を届ける場合でも、被害者が加害者を厳罰に処してくれということは珍しいと思う。私の周囲で起きたさまざまな職場での事件でも、警察や検察から、厳罰に処して欲しいかと問われたら、職場の先輩のことだから「穏便に」とか、「とくに厳罰にと言うことではありません」といったという話を聞いたことがあるし、それが普通だろう。
モンゴル人社会での今後の貴ノ岩の立場からしても、泣き寝入りをしないというまではともかく、厳罰を望むとか、日馬富士を引退させるとか、白鵬やモンゴル力士全般にバッシングが及ぶ道具に使われたとかいうことは、彼の将来によい影響があるとは思えない。日本人大リーガー同士で同様のことが起きたとき日本人がどのような印象を持つかを想像すれば明らかだが、日馬富士が引退に追い込まれ、白鵬などが批判されるなかで、何も発言せず隠れていてモンゴル人から良い印象をもたれるはずなかろう。
そのあたり、貴ノ岩は貴乃花の思惑に沿ったことを言わされている疑いがあるし、精神的に参っているともいわれているのも、さもありなんだ。こういうことを貴乃花親方からさせられたことによる貴ノ岩が受けた心の傷は、物理的な傷より深刻かもしれない。
本件であらためて確認したいのは、力士はあくまでも相撲協会に雇われているのであって親方に雇われているのではないし、相撲協会のコンプライアンスの下にあるということだ。ところが、現実には親方は弟子に協会も含めた外部との接触を断たせて、警察や協会の聴取で自由に物をいえるような状況にないということが明らかになった。これはあまりにも理不尽だ。