幻の重慶の韓国臨時政府で新たな歴史捏造開始か

八幡 和郎

大韓民国臨時政府の要人(Wikipedia:編集部)

韓国の文在寅大統領は12月16日に重慶で、「大韓民国臨時政府」庁舎跡を視察した。「臨時政府は韓国の根っこだ」と強調し、韓国は中国での抗日活動を継承した国家だとの認識を示した。習近平国家主席も14日の会談で、史跡保存の協力を約束した。

また新たな歴史捏造の始まりらしいが、そのあたりの経緯は、『韓国と日本がわかる 最強の韓国史』(扶桑社新書)でも取り上げている。

日韓併合後の日本統治は比較的平穏に進んだが、1919年に3.1運動という暴動が起きた。高宗(最後の皇帝である純宗の父)が死去したのが引き金になったのである。このとき王家の人のほとんどは、最後の皇太子となった李垠殿下と梨本宮方子女王の結婚式のために東京にいた(高宗は京城にいた)。

実際には、高宗は李家に対する日本からの敬意を示すこの結婚を非常に喜んでいたのだが、結婚を邪魔したので殺されたのでないかとか噂も飛び交い暴動に発展した。

この暴動を機に、総督府は宥和政策を進め、終戦まで平穏な統治と朝鮮人の地位向上が図られたのだが、上海では李王家傍流の李承晩らによる大韓民国臨時政府が樹立された(1919年4月13日)。

さほど重要性がある事件ではなかったのだが、戦後になってこの李承晩が政権に就いたことから、これが大韓民国の建国であるとかいう空想的歴史観を持ち出し、サンフランシスコ講和条約のときも戦勝国として参加させろとか騒いだが、相手にされなかった。

現在の韓国の憲法前文には「大韓国民は3.1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統」を継承すると書かれている。しかし、あまり現実的な意味はないので、下火になり、朴槿恵政権で出された国定歴史教科書の検討本は、1948年を「大韓民国樹立」としていた。

ところが、文在寅大統領は、ソウルで開かれた光復節(日本による植民地支配からの解放記念日)式典の演説で、「2年後の2019年は大韓民国建国と臨時政府樹立100年を迎える年」と言った。

さらに、重慶での臨時政府の活動を重視したのは、このころ、李承晩はアメリカで活動し、金九ら左派が重慶で活動していたこともあり、そちらを上海以上に重視するということだろう。

いずれにしろ、欧米諸国からも亡命政府として認められていなかったわけだし、在外の朝鮮人たちも臨時政府を支援に熱心というほどでもなかったので、さして、重要な存在でもないが、韓国の政府や国民がどう考えておくことは大事なことだ。

八幡 和郎
扶桑社
2017-12-24