日本は「終わった国」なのか

中村 伊知哉

オーソン・ウェルズが「第三の男」で発するセリフ。
「スイス500年の平和が何を生んだ?鳩時計だよ」。

映画の舞台、ウィーンで、ふと考え込みました。

MITメディアラボ創設者のニコラス・ネグロポンテが「終わった国」(finished country)とつぶやいたことがあります。15年ほど前、スイスのことを指して。ふとした話の流れで発したセリフですが、強く残っています。

ネグポンの言う「終わった国」は、長い歴史のうちに成熟はしたけれど、現代になってさしたるイノベーションもなく、沈んだわけではないが輝きを失った、という意味でしょう。
彼は若いころスイスの学校にも行っていたから、情を込めてのセリフだと思います。

世界経済フォーラムの世界競争力報告書によれば、2017年の競争力でスイスは9年連続で1位。だから決して終わってはいないのでしょう。彼が終わったと呼んだのは、経済だけでなく政治・社会・文化を含む総合面でのプレゼンス低下を指したのではあるまいか。

でもぼくの耳には、日本を刺しているように響きました。
デジタル化に乗り遅れ、終わりつつある。
停滞し、沈んでいる。
1985年にメディアラボを創設した際、多くの資金を日本企業に頼ったネグポンも、2000年ごろの日本をそう見ていたに違いないので。

昨年ぼくが訪問したのは、オーストリアとスイス。そしてアメリカ、オランダ、フランス、キューバ、シンガポール、マレーシア、台湾、韓国の10か国。
くるりと巡っただけでも、勢いのある国、ない国、濃淡がありました。

ネグポンが「終わった国」とつぶやいた当時、アメリカはネットバブル崩壊後なれど鼻息は荒かった。9.11で東側が落ち込んでも、シリコンバレーは元気。リーマンショックでまた東が沈んでも西は強気。
今年訪れた西海岸は、スマートからIoT/AIへの脱皮にギラギラしていました。

アジアもまた元気。シンガポールやマレーシア・イスカンダルは開発途上。台湾も韓国も政治ネタでよたよたしていましたが、若いエネルギーの高まりがありました。
キューバもそう。アメリカとの国交回復で、しばらく「終わっていた」国がまた始まるという熱気に満ちていました。

かつての大国はどうか。

フランスは大統領が替わり、AIやスタートアップにずいぶん熱心。イギリスなきEUを主導する鼻息で、終わらねえぞ風を吹かせています。

かつて世界の海を制したオランダ、江戸時代には西洋で唯一日本と交わっていた国も、終わったかのように見えて、世界最大の農業輸出国、ユニリーバ、フィリップス、ハイネケンなど有力企業もひしめき、実は老獪に生きています。

やはり問題は日本です。
IoTやAIはものづくり力を発揮するチャンス再来、高齢化や災害などの課題先進国としてのチャンスも見出せるのですが、科学技術で改革をといった機運は薄い。
アメリカを追ったりアジアと共進したり、フランスやオランダのように老獪に振る舞ったりする意思も弱い。

まぁそこそこ食えてて、安全で心地よいですから、このまま終わっていく安楽死もさほど怖くないのかもしれません。
だけど隣の国がミサイルぶっぱなして、目を覚ませって言ってるのは、日本が終わっちゃうと周りも面白くないってことじゃないでしょうか。

北野武監督「キッズ・リターン」ラストシーン。
「オレたちもう終わっちゃったのかなぁ?」「バカヤロー、まだ始まっちゃいねえよ!」。

ですよね。
今年もよろしく。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2018年1月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。