IBMのワトソン(人工知能)のコマーシャルで、開業医が遺伝子解析結果を扱っている場面が紹介されている。人工知能は、専門的な知識を持たなくても、最先端の結果をユーザーが利用することを可能にする。日々更新されていく新しい技術や情報を入手する事は、最先端研究の場にいるわれわれでさえ厳しい状況なので、臨床現場で忙しくしている医師や看護師・薬剤師がそれを行うことは不可能と言っていい。しかし、最先端技術や治療法は、続々と医療現場に応用されるようになってきており、これに対応した医療システムの構築が待ったなしの状況である。
人工知能は、非常に難解な生データを解析し、ユーザーの理解が簡単な解釈をつけて提示できるので、専門家と一般ユーザー(すべての医師・医療従事者や患者)の知識ギャップを埋める架け橋として機能する。個別医療の推進には不可欠な道具である。人工知能が広く利用されるようになれば、最先端研究者・医療従事者が特権的に利用している診断法や治療薬選択法が、すぐに、いつでも、どの医師(医療従事者)でも簡単に利用することが可能となると考えられる。副作用情報も、一般の医師や患者が簡単にアクセルすることが可能となるだろう。
現状の遺伝子診断には、複雑な解析操作や情報解析、そして大型の解析機器が必要であるので、リアルタイムで人の遺伝子診断ができるようになるまでは、多くの課題を解決しなければならない。しかし、感染症の病因遺伝子解析をリアルタイムで実施する日は、それほど遠くないかもしれない。これまでの遺伝子解析は、遺伝子(DNA)を研究室内で処理し、アイソトープ(放射線)や色素で可視化することによって行われてきた。現在、汎用されている遺伝子解析装置は色素(異なる色)を利用して4種類の遺伝暗号を判別している。
その煩雑なプロセスを一変させるような技術が広がりつつある。それはナノレベル(ナノメートルは10のマイナス9乗メートル)の小さな穴をDNAが潜り抜ける際に発生する電気の流れを検出することによって遺伝暗号を読み取っていく技術である。まだ、精度は高くないが、同じ部分を複数回読み取ることができれば正確さは高められる。また、現在汎用されている遺伝子解析装置は、解析することのできるDNA断片が数百塩基と短いが、このナノ装置は数十万から百万単位の長さを読み取ることができるようである。そして、解析装置が手のひらに乗るくらい小さいことが最大の利点である。現時点では人のゲノムを解析するのは難しいが、細菌やウイルスであれば十分に解析可能だ。
さらなる利点は、RNAでも直接読み取ることができる点だ。一部のウイルスのゲノムはDNAでなく、RNAで構成されている(インフルエンザ、風疹=おたふくかぜ、麻疹=はしか、C型肝炎ウイルス、エボラ出血熱、エイズなど)。もし、新規感染症などが発生した場合でも、血液などを輸送せずに現地で解析し、パソコンレベルで遺伝子を照合させることも可能(僻地でも、衛星を利用した通信での情報処理も可能)となる。家畜類の感染原因菌・ウイルスの特定も簡便になり、より早期に対策を打ち出すことができ、感染症拡大の防止にも貢献できるだろう。昨年来話題となっている獣医学部でもこのような解析手法に取り組むことが重要となってくる。
技術革新は驚異的なスピードで進んでおり、遺伝子解析やデータ解析のスピード、それにかかる費用も、もう一段進めば、遺伝子診断の汎用化が一気に進むものと考えられる。犯罪容疑者の特定も瞬時にDNA解析を行うことができるようになるだろう。もちろん、かかりつけ医で簡単に遺伝子を調べて、対策を練ることも可能となるだろう。遺伝子解析技術や人工知能の進歩によって、医療現場は激変するものと想定されるが、医療提供体制はそれに全く追いついていない。
編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2018年1月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。