世の中に分かっちゃいるけど、止められない事や物が結構ある。食べ過ぎれば健康に良くない、喫煙は肺疾患の主因ということを多くの人は知っているが、なかなか止められない。当方もこんなことを書けば読者から必ず反発を食らうだろうと知っていて書いてしまうことがある。頭で結果が分かっていながら、やってしまうことが少なくない。
「ハナ肇とクレージーキャッツ」の植木等が歌った「スーダラ節」(リリース1961年)の中の、「分かっちゃいるけど止められない」という歌詞が当時、受けた。無責任時代の到来といった批判の声もあったが、実際の生活で「分かっちゃいるが止められない」ことが多いので、この歌はたちまち人気を博した。
話は南北間の高官級会談に移る。9日、両国代表団が南北軍事境界線がある板門店の韓国側施設「平和の家」で高官級会談を開いた。韓国聯合ニュースによれば、「南北会談は2015年12月の次官級会談以来2年1カ月ぶりで、昨年5月の韓国・文在寅政権発足後では初めて」だ。
韓国側は、「緊急課題は2月開催の平昌冬季五輪大会に北の代表団の参加を促すこと」と説明していたが、北側は「南北間の全ての議題を話し合う用意がある」と言っている。北側の狙いをその発言の中にも嗅ぎ取ることができる。換言すれば、金メダルが取れるチャンスの少ない冬季スポーツの五輪大会に参加するか否かはどうでもいいことだ。狙いは、国際社会の制裁を乗り越えるために、人道支援という名目で経済支援を韓国から獲得することにある。朝鮮半島の情勢を少しでもフォローしてきた人なら直ぐに分かることだ。北が南北間の和平実現に突然目覚めたわけではないのだ。
それでは、なぜ韓国側は金正恩朝鮮労働党委員長の「新年の辞」の南北対話の呼びかけに直ぐ乗ってしまったのだろうか。韓国側は人並み外れてお人よしなのか。それもあるが、もう少し砕けた表現をすれば、「分かっちゃいるが止められない」からだ。
韓国側は、「朝鮮半島の再統一は分断民族の悲願だ」と口癖のよう強調し、南北対話の意義を説明する。嘘ではないが、それはほんの一部分に過ぎない。
南北再統一の経済負担問題で韓国の過半数以上の国民は負担増を歓迎していない、という世論調査結果が報じられたことがあった。韓国動乱を体験したことがない世代で南北再統一を祈願している韓国民は多くはない。南北離散家族を持つ国民は南北の再統一を願うが、その数は次第に少なくなってきている。自身の生活レベルを落としてまで南北の再統一を願う国民は多くない。
その韓国民から選出された政治家、指導者はそのことを知らないはずがない。しかし、韓国の政治家は南北再統一を政治課題から外すことはできないから、叫ばざるを得ないが、南北再統一のために国民は更に犠牲を払う覚悟が必要だとはなかなか言わない。
韓国の指導者は「怠慢」と「偽善」に陥っている。その点、慰安婦問題を例に挙げて少し説明する。文大統領は慰安婦問題の日韓合意には「重大な欠陥があった」と述べた。それは慰安婦に対する韓国内の対応が十分でなかったという意味で正しい。すなわち、慰安婦への対応、日韓合意の説明が十分でなかったのだ。明らかに「怠慢」だ。
慰安婦の生存者は現在31人だ。その31人の慰安婦と日韓両国関係はどちらが両国国民に重要な問題かを考えてみたい。明らかに後者が重要だ。しかし、韓国指導者はいつも前者がより重要と強調し、前者の問題解決がなければ後者の未来は考えられないと主張してきた。これは「偽善」だ。誤解を恐れずいえば、31人の慰安婦への対応より、日韓両国の関係により努力を払わなければならないのだ。
話を元に戻す。北側は韓国政府が要求する非核化には絶対応じない。いろいろな理由を付けて非核化テーマを脇に置くだろう。韓国側は北が非核化に応じないことを十分知っているが、北代表に向かって、「北は非核化に応じるべきだ」と繰り返し強調するだけだ。
北側は韓国側の「分かっちゃいるが止められない症候群」をよく知っている。時が来れば、韓国側に対話を提案すれば、「分かっちゃいるが止められない症候群」の韓国指導者は必ずそのオファーに乗ってくるからだ。
金正恩氏の父親・金正日総書記は瀬戸際外交を展開しながら、韓国の「分かっちゃいるが止められない症候群」を悪用した。その息子の正恩氏はこれまで強がりをいってきたが、制裁で国内事情が悪化してきたので、“伝家の宝刀”瀬戸際外交を取り出し、南北間の対話を提案した、というのが実情ではないか。
南北間の対話の信望者、文在寅大統領は5日、「これまでのように柔弱に対話だけを求めない。強力な国防力をベースに対話を推進し、平和も追求していく」(韓国聯合ニュース)と述べている。この発言は注目すべきだ。
文大統領は過去の「わかちゃいるが止められない症候群」を検証し、それからの決別を考えているのかもしれないからだ。それとも、対話路線に乗り出した韓国への内外の批判をかわすために思いついた弁明に過ぎないのだろうか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年1月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。