教育無償化を憲法に謳うことには反対

小学校を視察する安倍首相(首相官邸サイト:編集部)

教育の無償化を主張される方が多いが、無償化の理念をトコトン突き詰めていくと結局は教育を国家の管理と統制下に置こうとする動きと連動しそうな気がしており、私の趣味には合わない。

子どもに教育を享ける権利があることを明記することは、基本的人権尊重の理念の具体化の一つとしてあり得るとは思う。

しかし、教育無償化まで言い始めると、限られた国の資産を一部の者の専ら個人的な利益のために支出していいのかしら、という議論が出てきて、その公平性、平等性等が問われるようになり、結局は教育を公的支配の下に置くべし、という結論になってしまうのではなかろうか。

扶養義務者等の教育費の負担を出来るだけ軽減してあげたいという趣旨には賛同するが、しかし教育無償化はどうしても教育の内容や教育の現場に公権力が介入する切っ掛けになってしまう。

教育無償化問題は、日本における教育はどうあるべきか、ということを考えるための材料としてはいいが、教育無償化によって、自立した国民を作るはずの教育が国家に従属する国民を作る仕組みの一つになってしまいそうなところがどうにも感心しない。

教育無償化の具体的な制度設計如何という面も大きいのだろうが、私は安直に憲法に教育無償化を謳うことには、基本的に反対である。

維新の方々にとって教育無償化は1丁目1番地の目玉商品のようなので、私の立論については相当のブーイングが返ってきそうだが、あえてこの段階で私の懸念を申し述べておく。
存分にご批判いただいて結構である。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2018年1月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。