高齢社会が進むにつれ、人間としての尊厳を保ちながら死ぬ「尊厳死」や、患者の求めに応じて医師などが積極的・消極的手段によって患者を死に至らしめる「安楽死」に注目が集まっています。
尊厳死と安楽死の定義は曖昧なので、延命治療を行わずに自然に死に至らしめる消極的安楽死と、患者の苦痛を取り除くため積極的に死に至らしめる積極的安楽死に区別します。
東海大学安楽死事件で、横浜地裁は次のような要件を挙げました。
<消極的安楽死(延命治療の中止)の3要件>
1 患者が治療不可能な病気に冒され、回復の見込みがなく、死が避けられない末期状態にある。
2 治療行為の中止を求める患者の意思表示か、家族による患者の意思の推定がある。
3 「自然の死」を迎えさせる目的に沿った決定である。
<積極的安楽死の4要件>
1 患者が耐えがたい肉体的苦痛に苦しんでいる。
2 死が避けられず、死期が迫っている。
3 肉体的苦痛を除去・緩和するための方法を尽くし、他に代替手段がない。
4 生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示がある。
以上のように、わが国では(とりわけ積極的安楽死に関して)極めて厳格な要件が定められており、現実的には積極的安楽死を実施するのはほぼ不可能です。
オランダやベルギーなどでは、法律で安楽死が認められています。
終末期の延命治療はどうしても高額医療になります。
患者本人には特定医療費などの保険制度で負担が軽くなりますが、病院側は最新の延命治療をすればするほど医療収入が上がります。
このように、病院経営者に延命治療をストップするインセンティブが働かない仕組みになっているのです。
私個人としては、「死が避けられず」「肉体的苦痛が伴えば」積極的安楽死を施してもらいたいと願っています。
親族らを介護で疲弊させ、社会保険料増額の一要因になって下の世代にツケを回すくらいなら、安らかに死を迎えたいと思います。
極めてナイーブな問題なので、各人各様の考え方があると思います。
しかし、増加し続ける社会保険料を抑制するという観点から、国家的に広く議論すべき時期に来ているのではないでしょうか?憲法の人権規定に「自己決定権」という権利を設るか否かを議論すれば、自ずとクローズアップされてくる問題です。
あなたはどうお考えですか?
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年2月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。