「ありがとう」が、あることを惜しみ、あるがままを受け入れる心情の表れであるように、「さようなら」もまた、運命を従容として引き受ける覚悟を背負っている。自己の卑小を自覚し、自然の流れに身をゆだねる無常観がある。「そうであるならば・・・」から生まれた「さようなら」は、余韻を引きずっている。向き合う者同士がそこに万感の思いを込める。ちょうど空白を残した絵のように、感情の電流を揺さぶる。
単独で史上初の大西洋無着陸横断飛行を行った米国の飛行家、チャールズ・リンドバーグの妻で、自身も飛行家である作家のアン・モロー・リンドバーグが『翼よ、北に』(中村妙子訳)で書いている。横浜を離れる際、目にした光景を描いたものだ。
「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らない。Auf Wiedersehen や Au revoir や Till we meet againのように、別れの痛みを再会の希望によって紛らそうという試みを「サヨナラ」はしない。目をしばたたいて涙を健気に抑えて告げる Farewell のように、 別離の苦い味わいを避けてもいない。
けれども「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をあるがままに受けいれている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしない Good-by であり、心をこめて手を握る暖かさなのだ--「サヨナラ」は。
訳も素晴らしい。中国語の「再見(また会いましょう)」は、「別れの痛みを再会の希望によって紛らそうという試み」ということになる。あくまでも楽観的だ。思い浮かぶのは、「さよなら」が背負う、「一期一会」という茶の精神だ。そこには惜しみがあり、天命に従う人の強さと弱さが共棲している。
太宰治が『グッド・バイ』の作者の言葉で書いている。
唐詩選の五言絶句の中に、人生足別離の一句があり、私の或る先輩はこれを「サヨナラ」ダケガ人生ダ、と訳した。まことに、相逢った時のよろこびは、つかのまに消えるものだけれども、別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きているといっても過言ではあるまい。
「或る先輩」とは井伏鱒二。名訳として知られる一節だ。もとの詩は唐代の詩人、于武陵が残した「勧酒(酒を勧む)」である。
勧君金屈巵 君に勧む金屈巵(きんくつし) ※「金屈巵」は高級な酒器で、客への敬意を意味する。
満酌不須辞 満酌辞すべからず
花発多風雨 花発(ひら)いて風雨多く
人生足別離 人生は別離に足る
井伏鱒二は、これを次のように訳した。
コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
絶妙な訳であり、「花に嵐の例えもあるぞ さよならだけが人生だ」が人口に膾炙した。だがなぜ太宰は作品の名を、余韻のある「さよなら」ではなく、あえて「グッド・バイ」としたのか。現代性にこだわったのか。あるいは、もはや余白を残さない別離の淵に追いやられていたからなのか。
実は、中国では映画『花より男子』のラストシーンで、主人公が語る「さよならだけが人生だ」が知られている。中国訳の字幕はもちろん原作通り、「人生足別離」である。
原作の「勧酒」は、人生の苦境にある友人を慰め、励ますために酒を勧めている。くよくよせずに飲もうじゃないか、と言っている。花だって咲いても、雨風に散ってしまう。人生だってかくもはかない。出会いがあれば別れがある。人生は別れにあふれている。短い句の中に、感情と理屈とがぎっしり詰め込まれ、余韻がない。「別離」には、言葉少なに「手を握る暖かさ」が感じられない。
井伏鱒二の名訳は、「さよなら」の言葉が本来持つ余情によっているのかも知れない。
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2018年2月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。