銃なき社会は大量殺人の危険性を生む

教師への銃配備構想の根拠を述べたトランプ声明(ホワイトハウスFacebookより:編集部)

トランプ大統領が、学校での銃撃事件を防止するために、銃規制だけでなく、学校の先生が銃を持つことを奨励するという発言をして議論がされている。

日本人のあいだでは、なにをまた馬鹿なことをという受け取り方がほとんどだが、トランプの言い分には部分的には「真実」が含まれているし、日本でも大事な点なのだ。

この問題については、すでに、2016年7月の相模原障害者施設大量殺人事件について。アゴラに書いた記事でも書いたことがあるが(『相模原事件の再発を防止する方法を考える』)、あらためて、論じておこう。

このような事件を起こそうという人間は必ずいるし、それをゼロにすることも不可能である。それでは、そういう不届きな人間が犯行に及んだとして、最小限の人的被害に留めるにはどうしたら良いか。

それは、物理的に抵抗するしかない。まず、命がけで抵抗する人間がいないとどうしようもない。襲われた側、職員、第三者、警察その他はそういうときにどうすべきなのだろうか。

なかには憲法第9条がある限り命がけの抵抗は警官や自衛隊員しか無理だという議論をする人がいるだろう。もちろん、第9条のせいばかりにするのは短絡だし賛成でないが、まったく関係ないかといわれればある程度は関係する。

正義や社会を守るために命がけで抵抗するのは、どこまで美徳なのか義務なのか。難しい問題だが、せめて美徳であることは社会的に認知すべきだ。

また、この種のテロ事件では、武力行使に慎重であるより、速やかな行動が大事だ。パリの劇場でのテロ事件で犠牲者が無限に増えなかったのは、携帯電話から「殺戮そのものが目的だから躊躇なく突入してくれ」という観客から警察への要請があったからだ。慎重に警察が行動したらはるかに多くの犠牲者が出ただろう。別の要求がある人質事件とはまったく違うと言うことを理解すべきだ。

次に、道具と技術の問題がある。アメリカの銃規制反対派は国民の多くが銃をもっておれば大量殺人は起きないというが、一面の「真実」がある。

ノルウェーの島での大量殺戮事件でも誰も銃を持たない空間では一人が銃を持てば無限に人を殺せた。アメリカでも大学で大量殺戮が多いのも同じ理由だ。

銃でなくとも、棍棒とかその他の制御用の道具があり、それを使いこなせる人が多ければ、犯人は取り押さえやすい。

そして、銃や爆弾で武装した相手に対応するためには、警察にピストルなどでなく、本格的な銃撃戦を戦える部隊をかなり大量に置くべきだというのは、私が常々、主張しているところだ。また、予備役的にそういう部隊を臨時で編成できるのも大事なことだ。

たとえば、都市部なら全国どこでも15分程度でライフルで武装した舞台を投入できるようにしてほしいものだ。そのためには、東京などだけでなく各県警にかなりの人数の重武装部隊が必要だ。

半島有事とも絡んで、自衛隊で対応するような人数でなくとも、単独や少人数のテロ部隊に活動されたら何百人死んでも手も足も出ないなどということでは困るのである。

八幡 和郎
ワニブックス
2018-02-26