会社という組織がなぜ存在するのか?
この問いに対し、ドナルド・コースは「取引費用」を最小限度にするためだと説明した。
具体的に考えてみよう。
会社組織がなく、たくさんの部品製造業者、組立業者、販売業者が個々に存在しているとすると、各業者間で膨大な数の契約を結ぶ必要が発生する。
一つの製品を作り出すのに何十何百という契約を締結しなければならず、業者が廃業すれば別の業者と改めて契約を締結しなければならない。これは極めて煩わしく、効率性を著しく阻害する。
個々の業者をひとつの会社としてまとめてしまえば、従来の契約関係の多くを内製化することができる。契約の新たな締結、契約の更新、契約の解除等の手間も不要となり、後は部門間での調整ということになる。
このように、膨大な契約関係を内製化することにより「取引コスト」が大幅に節約されるというメリットが会社組織にあると、コースは説いたのだ。
ところが、会社が必要以上に大きくなると部門間の摩擦や調整の必要性、はたまたま部門の中での人間関係の調整という「摩擦解消コスト」が顕在化してくる。
会社全体が損害を被っても自分の属する部門(最終的には自分)が脚光をあげればそれでよしと考える「社内政治家」が社内を闊歩するようになる。彼らは何ら生産的なことを行わず、ただひたすら部門間を衝突させたり調整させたりして、社内における自己の利益の向上に全力を傾ける。
実際、多くの大企業では、利益を生み出すための生産的な活動よりも社内政治のために割かなければならない時間の方がが多くなっているというケースも少なくない。企画を通すために根回しをしたり、発言力のある人を説得したりするのは、その典型例だ。
すべての部門を別会社にしてしまうというのは極端だとしても、ある程度の規模以下の会社に分割するのは、効率性という点では望ましいことだ。
何と言っても、それぞれの会社が市場原理にダイレクトに晒されることにより、利益を最大化しようと努力することが挙げられる。大きな会社の傘下にあれば、稼ぎ頭の部門の利益を社内政治によって回してもらえば済むので、人件費等のコスト削減の努力をする必要がない。
しかし、稼ぎ頭が別会社になってしまえば自社独自で利益を上げる外なくなってしまうので、各社は売り上げ拡大とコスト削減に全力を注ぐようになる。
デメリットとしては、従業員が特定の部門に固定化されてしまうことだろう。大会社であれば、人事異動によって従業員が様々な部分を経験できる周知の通りだ。巷ではジェネラリスト不要論も唱えられているが、大局的な視野を持つことは専門性を磨くことと同程度に重要だ。
このデメリットを解消する一つの考えられる方法は、グループ間での人材交流を図ることだ。もっともこの人材交流か重要な役割を果たすようになると、「グループ内政治」が幅を利かせる結果になり、分社化のメリットが損なわれてしまいかねない。
その辺をうまく調整するのが最大の課題となるが、まさに「言うは易く行うは難し」である。
「人事」あるところに「政治」があり、「政治」が幅を利かせ過ぎると「効率」が落ちる。
つくづく組織というものは難しい。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年2月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。