日本より先に『サピエンス』『ホモ・デウス』を読んでいる中国の学生たち

加藤 隆則

イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史(Sapiens)』は世界的なベストセラーになった。宇宙から俯瞰するかのような人類史の著述は、肩の凝る学術書から読者を解き放ち、想像力をかきたてつつ、なじみ深い物語の世界に誘い込む魅力がある。上下巻計500ページ余りの本だが、1日で読破が可能なほど読みやすい。

歴史を学ぶことは、現在が進化の末にもたらされた自然なものでもなく、必然的なものでもなく、望めば運命を変更できる可能性を秘めたものであることを理解するためだ--この至言は、多くの読者の共感を得たに違いない。混迷したまま疾走する現代の科学技術社会にあって、一筋の光明をもたらしたと言える。

同書原語の初版は2011年で、河出書房新社の日本語訳は2016年9月に出ている。著者ハラリには、人類の未来を描いた続編の『Homo Deus』が2016年9月、英国で、2017年2月には米国で出版されている。日本語版は今年9月に同じ出版社から刊行の予定(邦題未定)だという。

だが中国ではすでに、『Homo Deus』は今年1月、『未来簡史』の名で出版され、授業での自由研究でも、食事やお茶をしながらの懇談でも、しばしば話題に取り上げられている。私はまだ続編の方は目を通していないのだが、すっかり読んだような気になっている。歴史学者のハラりが語る未来の人類は、一層、豊かな物語に満ちていることは容易に想像がつく。

学生たちの話を総合すると、同書は三部構成で、第一部、第二部は前著のテーマを継承し、第三部で続編のメーンテーマである「人類が直面する三つの問いかけ」が提示される。それは、

1)生物は本来、ある計算法(アルゴリズム)であり、生命は不断にデータを処理いていく過程である。

2)知能は意識と分離し、独自に進化する。

3)外部に存在するビッグデータが、私たち自身よりも私をよく理解している。

の三点で、この問いかけといかに向き合うかが、人類の将来を決する。だが、失敗すれば恐るべき将来が待っている。失業によって経済価値を失えば、社会の発展に貢献することができず、「無用階層」に転落する。経済的な価値がなければ、政治権力もない。そうなると政府を構成するエリートは、「無用階層」に対する医療や教育を放棄し、彼らは社会システムから見捨てられる。これこそが、21世紀最大のリスクなのだという。

では、人類を超越し、神のごときホモ・デウスに進化した人工知能(AI)は、最後にはサピエンスを滅ぼすのか?

ここでハラりは前著同様、

「将来の社会には多くの選択があり、技術がすべてを決するのではない。一切はまだ未定だ。もしみながこうした世界を思い描くことを望まないのであれば、自分の行動を変更することで、将来の世界の在り方を変え、リスクを取り除き、技術の好ましい一面を発揮することができる」

と述べているそうだ。

ちなみに『Sapiens』について、中国では日本に先駆けること2年前の2014年11月、『人類簡史』の題で刊行されている。

中国の若者が日本よりも早く世界のベストセラーに接し、より貪欲に世界の在り方、将来の人類について思いを及ばせていることは、多くの日本人が意外に思うに違いない。だが実際、私は彼ら、彼女たちから多くを学んでいる。

すべてとは言わないが、内向きに閉じこもる日本の学生たちが、どんどん取り残されているかも知れないことに対し、もっと注意を払うべきではないか。残念ながら日本のメディアには、ファーストフードのようなお手軽で、即興的な海外情報があふれ、本来見るべきものに目が向いているとは思えない。

余談だが、宇宙から地球をながめるハラりの視点は興味深いものの、学生たちには、現実から遊離した思考を植え付ける反面もあるように思う。私はやはり、目の前に存在する環境に向き合い、自分の身体から答えを探すような、地に足の着いた思索を求めたい。この点については、日を改めて言及することにする。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2018年3月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。