“大人”になりきれていない高齢者たち!?

昔から、「彼は大人だ」とか「ようやく大人になった」という表現がある。逆に「まだまだ子供だ」「大人げない」という表現もある。

では、「大人」と「子供」の境目は一体何なのだろうか?
法律で決まっている「20歳」という年齢が境目でないことだけは確かだ。先のような表現は、大抵20歳を過ぎた相手に対して用いられるからだ。
15歳の子供相手に「大人げない」などとは言わないだろう。

私が考える「大人になる」というのは、「自分のことを自分で決めることができる状態」になることだ。親の庇護下にあれば、「自分で決める」割合が年齢と共に高くはなるが、自分のこと全てを自分で決める必要はない。

親と同居していれば「どこに住むか」を決める必要はないし、生活を頼っていれば「どうやって生計を維持していくか」を決める必要もない。
親から完全に独立して、一人暮らしをしながらアルバイトで生活を送るようになれば、ほぼ「大人になった」と言えるだろう。

ひと昔前の終身雇用制度は、入社によって新しい家族の中に入るのと近似していた。「会社は一家であり、社員はみな家族」というスタイルを持っている会社が多かったからだ。

せっかく学生時代に大人になったのに、会社という家族に入ることで子供に戻ってしまう人が、実はたくさん存在した。
独身寮や社宅があれば、「どこに住むか」は会社が決めてくれる。
転勤があれば転勤先での住まいも会社が決めてくれる。

家を買おうと思うサラリーマンが最初に相談するのは、既に購入した先輩や同僚がほとんど。不動産会社やハウスメーカー等も紹介してくれる。
不動産会社等は勤務している会社と同系列であったり、親密な会社がほとんどだ。車を買うときも、ディーラーと勤務先との関係を重視する人が多い。

社内では、上から業務命令として仕事が与えられる。
次第に管理職になって下に命令するようになっても、自分が部下に下す命令は「自分より上」の意向に沿ったものになる。

取締役や社長になっても、実力者が相談役などになっていると、彼らの意向に沿うように下に命令する。
名実共に相談に行くのだ。

つまり、一昔前の「会社一家」の構成員であるサラリーマンにとって、人生のほとんどは自分で決めなくても済んでしまっていた。
同じ会社の退職者などの出身者が、同じ地域に住んでいるのは決して偶然ではない。たまたま、勤務先の関連不動産会社が開発した住宅地やマンションに住んだ結果だ。

退職によって突然「何もかも自分で決めなければならない」状態になると、途方に暮れてしまう人が多い。

それまでの最大の悩みは、昼食に何を食べるかくらいのものだったのが、突如として24時間365日の使い方を、全部自分で決めなければならなくなるからだ。これはかなりキツイ状態だろう。

トレードオフに直面し、一方を選べば他方を捨てることになる。
捨てた選択肢が惜しくなるとストレスがたまる。

「なにもやらない」というのも「その時間でやれた何か」を捨てたことになり、余計ストレスが溜まる。
ストレスが溜まると不機嫌になる。

会社員時代にたくさんの部下を持っていると、周りにいる若年者に横柄な態度で接して嫌われる。
飲酒して暴力を振るう暴走老人も時々いるそうだ。

昨今は「会社一家」的な発想が少なくなってきたし、副業として自分でマネジメントしている人が増えたので、将来的には退職後の労害が減ると期待している。

しかし、団塊の世代周辺には、まだまだ「大人になりきれていない高齢者」がたくさんいるように思える。

今からでも遅くはない。
心当たりのある人は、謙虚な態度で日々少しずつでも「自分で決める」癖をつけていこう。

自分で決めたことを少しでも実行していこう。
自分に決める力や実行力がないことを自覚すれば、自ずと周囲の人たちへの敬意も湧いてくるはずだ。

荘司 雅彦
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2017-06-22

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年3月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。