ボヤが大火になる恐れ
森友学園との国有地取引をめぐる決済文書の改ざん問題は、ボヤで済ますことができたのに、政権と官僚の不手際で小事で済まなくなる可能性が広がっています。初期の対応のまずさから、流れが悪い方へ、悪い方へと傾いてきたように思います。
決済文書の原本は大阪地検が証拠書類として持ち去ったとしても、常識でいえば、検察に押収される前に近畿財務局がコピーをとっているはずです。原本に限らず、多数の書類も同様のはずです。
コピーもとらずにいるうち、重要書類を押収されてしまったということは、普通ではありえません。出し渋るのは、見せたくない証拠書類だからでしょう。
報道した朝日新聞に、入手した文書を開示せよという意見も聞かれます。問題を起こしたのは近畿財務局であり、守秘義務の必要性もあろう文書の開示を報道機関に求めるというのは、報道・取材の自由を守るという基本原則への理解が足りません。
初期の文書のコピーもあるはず
重要なカギを握っているのは、15年〜16年に近畿財務局が作成した契約時の決済文書と、国会議員に提示した決済文書の2種類です。この2種類を同時に示さないと、朝日新聞が報道したような改ざんを証明することはできません。
初期の文書がないというのは、ウソか廃棄の結果でしょう。当初、存在した文書を廃棄すれば犯罪にあたるし、地検に押収されているはずでしょうから、廃棄した意味がないわけです。このコピーも役所にあると考えるのが常識です。
初期の文書にあった「特例的な内容となる」、「本件の特殊性」、「価格提示を行う」という箇所が削除された後の文書が議員に提示され、それと同じ文書のコピーがが8日、再び国会に提出されて、議員が怒るのは当然です。バカにしています。
担当職員の不満鬱屈
次に、地検の取り調べで責めたてられているのは、直接、文書を作成した担当者でしょう。指示した上司は「知らぬ存ぜぬ」とかわしているのでしょう。このため、担当者レベルに相当な不満が鬱屈しており、内部リークめいた動きにつながっているとの話を聞きます。「抑えが効かなくなっている」、「内部の締め付けがもたなくなっている」とか。
日本全体からみると、愛国主義的な学園の設置、不透明な国有地の払い下げという小さな事件です。首相がらみの案件という位置づけになるにつれ、関係者が無理に無理を重ねた形跡があります。初期の段階でなぜきちんと仕切れなかったのか。
公平、透明な行政処理をしておけば、国会をゆるがすような大事に至らなかったはずです。問題の所在ははっきり見えてきました。問題は収拾策です。地検の捜査結果がまとまるのを待つのか、国会の空転を回避するために、体制の立て直しを急ぐのかですね。
無理に無理を重ねた結果、麻生副総裁・財務相の処遇を含めた大掛かりなものになるのか、ですね。不手際を重ねすぎました。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2018年3月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。