行政機関の保有する情報の公開に関する法律(情報公開法)第1条は、以下のように規定している。
この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするととをもに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。
同じく3条は以下のように規定している。
何人も、この法律の定めるところにより、行政機関の長(かっこ内省略)に対し、当該行政機関の保有する行政文書の開示を請求することができる。
日本国の主権者(最終的意思決定権者)は国民だ。
これは憲法の条文を見なくてもほとんどの人が知っている。
主権者たる国民が、最終的意思決定を下すのは選挙の際の投票等が主要な手段だが、かかる主権行使のためには国政に対する十分な情報が提供される必要がある。
とりわけ、憲法改正国民投票のように国家の制度や枠組みを変える直接的意思表示をする際には、より正確な情報が得られなければならない。
情報公開法律第1条に「国民主権の理念にのっとり」と書かれているのは、主権者たる国民が正しい判断を下すための材料として、行政機関が保有する情報を公開するという趣旨だ。
だから同法の3条には「何人」も「開示を請求することができる」と書かれている。
「利害関係を有する者」などという制限を加えていない。
いかなる目的を持った者であっても、外国人であっても行政文書の開示を請求できる(外国人を除外しないのは、日本国籍を持つ人間に依頼すれば済むことなので制限を設けても意味がないからだ)。
このように、主権者である私たち国民は、行政文書の開示を請求することによって正しい情報を得た上で、国家に関する最終的意思決定の判断を下すことになる。
判断の材料である行政文書に誤った記載がなされていれば、国民による最終的意思決定の結果が歪められてしまう恐れがある。
取り巻きのイエスマンたちによって下からの正しい情報を遮断され、都合のいい情報ばかりを聞かされているお気楽な企業経営者のようなものだ。
行政文書を含む公文書は、かくも重要なものでありまかり間違っても意図的に書き換えるようなことがあってはならない。
万一、このようなことが現実にまかり通っているとしたら、主権者たる国民は正しい判断ができずに誤った最終的意思決定を下し、将来に大きな禍根を残すことになりかねない。
今回の「書き換え事件」が、万一氷山の一角だとしたら私は寒気を覚える。
私たちは、今一度事態の重要性をしっかりと認識する必要がある。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年3月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。