世界で最も有能な諜報機関はCIAでも旧ソ連のKGBでもない。バチカンのサンタ・アリアンザ(Santa Alianza)である、と世界の諜報組織に携わった経験のある者はだれもがそれを認めている。米リーガン大統領政権下のCIA長官を務めたウイリアム・ケーシーは「バチカンの諜報機関は世界で最も良く情報を把握している」と語っていた。
サンタ・アリアンザが集めた情報を基にバチカンの外交を推進して行く最高指導者は法王である。それを称して、ナポレオンは「ひとりの法王は20万人の兵士を連れた軍団に匹敵する」と評していたという。
また、サンタ・アリアンザの中でもスペインで生まれた二つの宗派イエズス会とオプス・デイの組織力は抜きんでているという。CIAの諜報員だったエヴェレート・ハワード・ハントはイエズス会の諜報能力は最大規模のものだと称賛していた。
一方、オプス・デイは1977年にベルギー議会で危険な宗派のリストに加えられたが、その後すぐに政治的圧力があって、そのリストから外されたという経緯がある。コロンビアとエクアドルのそれぞれ元大統領アルバロ・ウリベとグスタボ・ノボアはオプス・デイの信者である。スペイン政府の閣僚や大手企業の役員などにはオプス・デイの信者が多くいる。即ち、彼らも最終的にはサンタ・アリアンザの協力者ということになるのである。
バチカンは世界の諜報機関が備えている高度のテクノロジーを駆使して情報を収集しているのではない。そうではなく、数え切れないくらいに持っている人的資源を使って情報収集を行っているのである。信仰という武器を使って対象となる人物に告白させて心にまで浸透してあらゆる情報を掴むことができるのである。
そして、その情報集めには世界に溢れるほどに存在している教会と、そして神父がその手足となっている。勿論、神父の中にはアントニオ・オルテラノ(90歳)のように布教活動よりも、諜報活動を専門にしていた神父もいる。彼はイスラエルのモサドの諜報員であったが、ローマ聖庁は彼の存在に興味を示し、それ以後バチカンに勤務していたという。彼は一度、イタリアのパスポートを所持して当時共産圏のハンガリーを訪問して任務を遂行して戻る途中でKGBから拘束された経験がある。彼もユダヤ出身ということでモサドとは良く協力したそうだ。
サンタ・アリアンザは1566年に法王ピウス5世によって創設された。その設立の趣旨は英国でエリザベス1世のもとに勢力を伸ばしつつあったプロテスタントを牽制するためであった。そこで、イタリア人宣教師を情報収集で派遣したのがバチカンの諜報機関サンタ・アリアンザの始まりであった。サンタ・アリアンザが創設されてから現在まで41人の法王がこの諜報機関を利用して正教会の監視、異端者の追跡、解放神学を抑圧することなどの任務にサンタ・アリアンザは活躍した。特に、解放神学はラテンアメリカで貧困層を守ることを主体に発展したが、それが強いてはマルクス主義と結びつけられることなどをバチカンは警戒した。
アルゼンチンのホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が2013年に法王に選ばれた理由のひとつは、ラテンアメリカでのローマカトリック教の強化という目的があったからである。それまでラテンアメリカはバチカンが少しなおざりにしていた地域であった。ところが、そこで解放神学の動きが活発になり、しかもプロテスタントも地盤を築きつつあるということから、ラテンアメリカ出身者を法王に任命しようという動きが活発になっていたのであった。
ベルゴリオ枢機卿がフランシスコ法王になってからは、ラテンアメリカ諸国を積極的に訪問して福音伝道をしている。
例えば、米国とキューバの国交正常化を導いたのもバチカンの協力があったからである。2014年、当時のオバマ大統領がバチカンを訪問した際に、フランシスコ法王にキューバとの国交回復に協力を要請したことが始まりであった。その後、法王はラウル・カストロ評議会議長に親書を送り、オバマ大統領の真意を伝えたのであった。その後、パロリン法王庁国務長官とケリー米国務長官らの協議がカナダで行われ、最後の詰めの交渉がバチカンで行われた。そして、53年振りに両国の国交が再開されたのであった。
正教会との関係改善も果たし、フランシスコ法王の次の大きな課題は中国との外交関係の樹立である。
また一方で、バチカンの外交は神聖な組織とは反比例して暗い陰も落としている。例えば、ドイツのナチスの軍人3万人を密かにラテンアメリカに移住させている。彼らの多くが向かった先はチリとアルゼンチンであった。
またラテンアメリカの独裁者にも資金支援をしていた。例えば、20年間ニカラグアを支配したソモサ一族、31年間ドミニカ共和国を支配したラファエル・トゥルヒーリョ大統領、同じくハイチの独裁者フランソワ・デユヴァリエ、そしてアルゼンチンやエル・サルバドルの軍事政権にも資金の支援をしていた。この支援は米国のCIAと協力して中米及び南米で共産主義を伸展させないためであった。
その資金の支援にはバチカン銀行が関与していた。本来の業務は慈善活動への資金の投入などであったが、同銀行は資金洗浄に一役買う組織となり、架空の会社に多額の融資をしたという名目にして、実際には独裁者に資金を提供するといった活動をしていた。またバチカン銀行の資金運用にアンブロシアーノ銀行が担当するようになったが、マフィアとの関係などが取りざたされるようになっていた。
アルゼンチンが英国とフォクランド戦争をした時に、アルゼンチンはフランス製のエグゾゼ対艦ミサイルをパナマにあるバチカン銀行の関係会社から購入しているが、その支払った資金はポーランドのレフ・ワレサがリーダーとなって活動していた独立自主管理労働組合の支援金となっていた。
バチカンの資金運用にメスを入れようとしたのが、ヨハネ・パウロ1世であったが、法王就任後33日で逝去した。暗殺されたというのが通説となっている。なお、現在バチカンの資金運用などはロスチャイルド銀行やハンブローズ銀行が担当している。
また、同様の悲劇はベネディクト16世にも訪れた。バチカンのタックス・ヘイブンなどにも資金が預けられている不透明な資金運用などがサンタ・アリアンザに対抗して組織されたバチカン内部の不正を調査するソダリティウム・ピアヌム(Sodalitium Pianum)によって、ベネディクト16世が間接的にそれに関与しているということが明らかにされたのであった。その追及を避ける為にベネディクト16世は表向きは健康上の理由を挙げて生前退位したというのが真相だとみる向きもある。