Brexit後のEU

昨晩、私の母校であるLSE(ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)の同窓会の集まりが都内であり、来日中のSimon Hix教授の話を聞く機会がありました。

EUを研究対象としている教授は、イギリスのEU脱退(いわゆるBrexit)問題に関する専門家で、レクチャーもそれを中心としたものでした。

私はちょうど、ギリシャ経済危機の際、金融支援交渉に東奔西走して結局失敗したギリシャ元財務大臣、ヤニス・ヴァルファキス氏の回想記、「Adults in the Room」を読み始め、ヴァルファキス氏のEUの現状に対する厳しい透察に触れていたところだったので、Hix教授の話を興味深く聞くことができましたが、私個人の感想としては、Brexit問題からEUの将来を卜することは困難だなという印象を受けました。

私がイギリスで学生をしていた1990年前半のころは、EC(ヨーロッパ諸共同体)からEU(ヨーロッパ連合)への橋渡しとなったマーストリヒト条約の交渉の真っ只中で、それを背景としたサッチャー首相(当時)とドロール欧州委員会委員長の衝突が耳目を集めていました。

しかし、より大きなヨーロッパの歴史におけるマーストリヒト条約の重要性は、東西統一後のドイツの脅威をEUの枠組みにとどめおくことだったわけで、サッチャー首相を起点とするイギリスの反EU勢力とEU統合を推し進める勢力の衝突という筋書きからEUを理解することは、EUの発展とその内包する諸問題を理解することにおいては、いささか本筋を踏み外していたことを私が気がついたのは、つい最近のことです。

Hix教授のプレゼンテーション後のQ&Aで、Brexit後のEU加盟諸国国民におけるEUへのPopular Mandate、つまり加盟国国民からのEUへの「信任」という面で変化があるのかという質問させていただきました。

教授の回答は、対EUの輸出入が総額の約40%を占めるイギリスと異なり、他のEU諸国はその大半をEU市場に依存していることを踏まえると、そのあきらかな経済的恩恵がEUの存在意義を正当化しているとのことでした。

しかし、脱EUがもたらす経済的ダメージをちらつかせてEUを正当化しようというこころみは、それこそイギリスのEU残留派、いわゆるRemainerが依拠して失敗したFear Argument、つまり「恐怖の論法」です。これをもって今ヨーロッパ諸国を席巻している反EUテクノクラートのポピュリズム擡頭に対処できるのか、諸国民の支持を涵養できるのか、と問われれば甚だ不安にならざるを得ません。

ギリシャへの金融支援もその出口を模索し始めた今、今後のEU改革からも目が離せないようです。もしかしたらロシアの脅威ということが、EUの存在意義を大きく変えることに利用されていくのではないか、という考えも頭をかすめます。それはいままで経済を基盤として結束していたEU諸国とその政策が、外交・軍事という軸にシフトしていくことになることを意味しているのでしょう。