米朝首脳会談の開催場所を日本へ誘致せよ

鈴木 衛士

El Periodico de Utah/flickr:編集部

今年に入り、北朝鮮は平昌オリンピックを契機に強硬路線から一変して対話路線へと舵を切り、韓国との南北首脳会談を行うと同時に、米朝首脳会談の開催を提案してトランプ大統領もこれを受け入れた。そして、米側がこの会談に向けての準備を行いつつある中で、金正恩朝鮮労働党委員長が中国を電撃訪問し、習近平国家主席と金正恩国家主席として初めてとなる中朝首脳会談を行った。

このように、北朝鮮を取り巻く情勢が目まぐるしく変化する中で、わが国は相変わらず北朝鮮に対する圧力路線に終始し、表向きには対話への路線変化という道筋は全く見えてきていない。この現状を私は大変危惧している。このままでは、拙著『北朝鮮は『悪』じゃない』(幻冬舎)で警鐘を鳴らしたように、日本人拉致問題解決の好機をみすみす逃すことになるばかりか、東アジアにおいてわが国は孤立化する方向に進むであろう。なぜならば、北朝鮮と韓国は結束を強めるためにさらに反日色を顕著に押し出すであろうし、中国も日米韓の結束を弱めることを狙ってこれを助長すると考えられるからである。今後、米朝首脳会談で何らかの合意がなされ、米朝協議が本格化すれば、北朝鮮はもう日本を交渉相手とはしないであろう。

この局面を打開するために、私が提唱する最も効果的な方策は、「米朝首脳会談を日本で開催する」というものである。これが実現すれば、当然の結果として日朝首脳会談も実現するであろうし、米朝首脳会談で両者が合意すればその後行われるであろう米朝協議においても、わが国は深く関わって行くことが可能となるからである。特に、米朝協議は朝鮮半島の非核化問題がその根幹となることから、わが国はこの行方を見守る姿勢をとりつつ、日朝間においては2002年に交わした日朝平壌宣言に立ち返り、日本人拉致問題の解決による日朝国交正常化を主体に協議すればよいと思う。この問題は、他国に頼って解決する類のものではない。何としてもこのチャンスを逃さず日本人拉致被害者の解放を実現させなければならない。

金正恩は昨年12月、朝鮮労働党の末端組織である党細胞大会において「国家核戦力完成の歴史的大業を実現した」と宣言して以来、次なる目標に向かって歩み始めたのではないかと見られる。この延長線上に、南北首脳会談があり、中朝首脳会談を経て、米朝首脳会談へと結びつける計画を練っていたのであろう。そのような意味で、北朝鮮という国は1948年に建国宣言して以来、祖父から孫へ政権は三代にわたれども全く軸足はぶれておらず、最終目標へ向かって着実に前進を続けているのである。

その目標とは、朝鮮半島における「国土完整(赤化統一)」即ち北朝鮮が主体となって朝鮮半島を統一へと導くことである。この実現のために、北朝鮮は強盛大国というスローガンを掲げ、国の強化に邁進してきたのである。この過程で、中国に頼りすぎて「体のいい併呑」と成り果ててはならないし、米国によって力づくで体制が葬り去られてもならない。そのためには強い軍事力と経済力がどうしても必要である。だからこそ、通常兵器で完璧に差をつけられた北朝鮮は中国を見習って北朝鮮版の「両弾一星」を目指したのである。そしてこの核戦力を完成させたと宣言した以上、次なる目標は経済の強化であろう。金正日総書記は中国の鄧小平国家指導者が成し遂げた「経済の改革開放」を羨望の眼差しで見ていた。実際これを北朝鮮でも実現させようと一定の努力もしていたと見受けられる。

金正日以上に野心家である金正恩はこの改革の実現を目指しているに違いない。この推測どおり、金正恩が「経済の改革開放」を実行しようとしているならば、日本は大いに頼りになる存在である。わが国が今後の交渉次第でその経済改革の支援を行う可能性があると金正恩が判断すれば、日本人拉致問題を解決して日本との国交正常化を企図する可能性は十分にあると思われる。そもそも、拉致問題は非核化に比べると北朝鮮にとってははるかに妥協しやすい問題だと見込まれる。だからこそ、2002年に金正日総書記は小泉首相との日朝首脳会談でこれを認め謝罪するという譲歩に踏み切ったのであろう。

いずれにせよ、わが国は現状においてこのまま成り行きを見守っていたのでは、米中韓から置いてけぼりを食らって何ら得るもののないまま非核化へ向けてのプロセスが始まり、あげくの果てには関係国から莫大な金額の拠出を要求されるという結果に終わるに違いない。米国任せにするのではなく、この北朝鮮の全方位外交ともいえる施策に積極的に関わってこそ、次なる進展への各国への働き掛けも期待できようというものである。

鈴木 衛士(すずき えいじ)
1960年京都府京都市生まれ。83年に大学を卒業後、陸上自衛隊に2等陸士として入隊する。2年後に離隊するも85年に幹部候補生として航空自衛隊に再入隊。3等空尉に任官後は約30年にわたり情報幹部として航空自衛隊の各部隊や防衛省航空幕僚監部、防衛省情報本部などで勤務。防衛のみならず大規模災害や国際平和協力活動等に関わる情報の収集や分析にあたる。北朝鮮の弾道ミサイル発射事案や東日本大震災、自衛隊のイラク派遣など数々の重大事案において第一線で活躍。2015年に空将補で退官。著書に『北朝鮮は「悪」じゃない』(幻冬舎ルネッサンス)。