「機械の中の人生」をおう歌しよう!? --- 昆 正和

グーグルがCalicoという会社を設立し、老化の原因を突き止めるためのプロジェクトを進行中との見出しを見たのは一昨年だっただろうか。そこには風呂敷か本気か分からないけれど、人間の寿命は100歳、いや500歳まで延ばせるとのインタビュー記事も載っていた。今日のように高度に科学が進歩すると、現実のことなのかサイエンスフィクションの話なのか、古い人間の僕にはほとんど区別がつかなくなってくる。

そういえば、最近読んだ中公新書に『脳の意識  機械の意識 – 脳神経科学の挑戦』(渡辺 正峰著)という本がある。正直な話、読んだというよりもむずかしくて読みあぐねたといった方が正しい。しかし、まったく得るところがなかったのかと言うとそうでもない。

この本で脳神経学者の著者は「人間の意識を機械に移植できる日は必ずやってくる。もしそれが実現したら、自分は機械の中で生き続けることを選ぶ」という趣旨のことを述べている。こうなると、もはや究極の不老長寿的野望だ。すごいことだ!と僕は思った。しかし同時に、次のような素朴で不思議な思いも胸中を去来したのである。

たとえば、肉体を持たない「意識」だけが電子制御された機械の中に漂っているとはどんな状態なのだろう、と。僕はどうしても昔からよくあるSF映画のような、広い静かな空調の効いたサーバールームの真ん中に、おびただしい数のリード線でつながれた1台の機械が存在している状況をイメージしてしまう。

僕にとっての意識とは、自分の意思で歩いたり走ったりして風を感じ、暖かさや寒さを感じ、他人の顔や表情を識別し、美女を見ればドキドキし、自分の望む食べ物を口にしておいしいと感じ、お金がたくさん手に入れば気分が高揚する…。このように外界の刺激を受け止める「肉体」があってはじめて、自分の中に生まれる現象だと思えてならない。

おまけに、なんだか本書の読み方を間違えてしまった僕は、次のような少しよからぬことまで想像してみたくなったのである。

僕が事業で大成功し、富豪になったとする。そして余命いくばくもなくなったある日、たとえ自分が死んでも富豪としての影響力を末永く行使できるように、あり余るお金を機械の中で生きることに充てた。機械の中のワタシは、最初のうちは畏敬の念を持って部下たちに迎えられるだろう。最高度のセキュリティシステムに囲まれた静かな部屋で、テレビ会議システムとリンクしながら、幹部たちと経営上の意見を交わしたり、命令を下したりする。もちろん口ではしゃべれないから、テキストメッセージや機械で合成した音声で表現するしかない。

しかし時代が変われば人の意識も変わる。肉体を持たないために世の中の空気が全く読めないワタシの意識は、次第に生きた人間たちから乖離していく。そしてある時、ワタシの意見に賛同できない幹部たちと喧嘩になるのだ。どんなに「わしの命令が聞けんのか!」とテキストや機械音声で主張しても、幹部たちは聞く耳を持たない。最後には「この世の中はわれわれ生きている人間のものだ。あなたは人間の手で作られた単なる機械ではないか。そんな機械の指図など受けてなるものか!」と、言ってはいけないことを口にしてしまう。

そしてとうとう、反乱が起こる。経営幹部の一人が業を煮やして、ワタシの意識装置を管理するシステムエンジニアをそそのかしてセキュリティシステムを切らせ、この装置を破壊してしまうのである。これは殺人だろうか。それとも器物損壊に当たるだろうか。どちらにしても、悲惨な結末であることに変わりはない。

こんなことを考えていると、「僕などは、とても機械の中で生きたいとは思わないなあ…」とため息混じりにつぶやくしかなかったのである。

昆 正和(こんまさかず)  BCP/BCM策定支援アドバイザー
東京都立大学(現首都大学東京)経済学部卒。9.11テロでBCPという危機管理手法が機能した事例に興味を持ち、以来BCPや事業継続マネジメントに関する調査・研究、策定指導・講演を行っている。