希望の党という素晴らしい名称を冠しているのだが、今の希望の党に所属されている方々が本当に希望が溢れるような状態にあるか、と問われれば、どうも否定的な回答しか出来ない。
希望があったのは設立されてからほんの数日間だけで、若狭さんや細野さんが丁寧に進めてこられた作業が小池さんの一言で覆されてから、あっという間に希望の党はただの選挙互助会的集団に変質してしまった。ただの選挙互助会的集団に堕してしまった希望の党だが、それでも昨年の衆議院選挙ではそれなりの結果を出すことが出来た。
若狭さんや細野さんが描いたとおりの希望の党ではなかったが、設立の当初からまったく何の希望もなかったわけではない。しかし、今の希望の党には、残念ながら殆ど希望がない。
小池さんが希望の党の代表から下りてしまい、希望の党に所属している国会議員だけで代表選を行って玉木さんを新しい希望の党の代表に選出した時点で小池さんが設立した希望の党はまったく新しい政党に変質したと言うべきだろう。
今の希望の党には、既に希望がない、と言わざるを得ない。
この希望は、希望の塾の「希望」である。
小池さんの「希望」である。
名称と実態に齟齬があった、と言わざるを得ない。
多分、玉木さんには「希望の党」という名称自体には特別の思いも拘りもないはずである。
希望の党の「希望」という文言を返上することにも特に異存はないはずである。
しかし、だからと言って、希望の党から分党しようとする5人の国会議員に「希望」という文言を譲っていいかは、別の問題である。
多分小池さんは、うん、とは言いたくないはずだ。
希望の党が設立される前の段階での5人の国会議員の存在は極めて重要だったが、希望の党から分かれる5人だけの国会議員の集団に「希望」は、重過ぎる。
この際、希望の党の名称は小池さんにお返しされるのがいい。
小池さんが再び国政に復帰される日まで「希望の党」の名称の使用は封印されるのがいい。
小池応援団、若狭応援団を標榜してきた私の目から見ても、今の希望の党には殆ど希望がないことは事実として認めざるを得ない。
残念ながら。
編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2018年4月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。