江戸時代に水野南北という思想家がいた。思想家と呼ぶことに違和感を持つ人もいるかもしれない。南北は「相」を見る名人で、諸国で人々の「相」を見て歩いた人物である。相当な人気があったようで、門弟は1000名を超えたという。
この水野南北が『修身録』という書物を遺した。一般的な道徳を説いた本ではなく、「食」について記した著作である。この『修身録』を丹念に読み込んで、解説したのが若井朝彦氏の『江戸時代の小食主義』(花伝社)である。
読んでいて、面白いと思った部分を抜粋してみる。
○食を慎むと運気が上昇する
「食は心身を養う根本である。だから食を慎んでおのれを養う時は、五臓は健やかになり腹中も整う。されば心身も健やかであるから、気というものが自然と開いてくる。
気が開く時には、運もそれにつれて開く。運気という言葉があるように、運は気に随うものなのだ。
だが食を過ごす時には、腹中が悪しくなって、気もおのずから重くなる。気が重ければ、気色は滞って動かない。ゆえに血色も開いては来ない。
また血色が開かねば、運が開くこともない。これが道理である。食を慎む時は、まず血色がよろしくなり、運もそれにつれて開くというわけだ。
まず三年、真剣に食を慎んでみよ。これでもし運気が開かなかったとしたら、あまねく道理も、あらゆる神も、鐘や太鼓の音もこの世界から消え失せていることだろう。
そしてこの南北を天下の賊だと言うがよい」
○ 大食する人物は事を為せない。
「酒肉を避けていても、美味を多く食し、また大食する者は、みな濁肉となって、生涯出世発達がない。大食をして満腹になった後は、気が鈍り、眠気がやってくる。目覚めてもけだるく、頭が重い。・・・(略)・・・大食する者は、みな濁肉となって、一生を通じ、事を果たす者にはなれない」
○大酒は体に悪い
「酒というものは、少したしなむときは、気分をよくして、知をめぐらせるものだ。だが量が過ぎれば、かならずいのちにも障るようになる。・・・(略)・・・
大酒の翌日は、腹具合悪く、気分は勝れず、この時に至って自分のからだを傷めてしまったことにやっと気がつく。そこで薬を飲んでなんとかしようとし、直ればなおったで、苦しさも恥じる気持ちも忘れてしまい、また酒に手を伸ばす。
こうやって何年ものあいだ内なる神を苦しめるとどうなるのか。長命であるはずの人も、ついには病身となり短命となる。まことに慎むべきことである」
飽食の時代に生きる人々を戒める書物が江戸時代に書かれていたことが興味深い。
食べすぎ、飲みすぎは駄目だ…いささか自虐的な気分に浸りながら、本を閉じた。自戒しなければ…
編集部より:この記事は政治学者・岩田温氏のブログ「岩田温の備忘録」2018年4月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は岩田温の備忘録をご覧ください。