レイモンド・チャンドラーが生み出したハードボイルド小説の探偵、フィリップ・マーロウの台詞に以下のようなものがある。
If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.
最も有名な邦訳は生島治郎氏の、「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」だ。
随分以前になるが、小学校高学年の男子生徒たちと話をする機会があった。
正式な出張授業とかではなく、たまたま居合わせた公園での雑談だ。
一人の男子生徒が、「どうして女子生徒と殴り合うと、男子生徒の方が叱られるの?男女平等に反するじゃないか!」
「本当に殴り合ったの?」と訊いたら、「もちろんゲンコツじゃないよ。平手とかで…ほら、こういうふうに」と、マイルドなものだったので一安心した。
私は、彼らに先のマーロウの台詞を聞かせた。
「タフでなければ生きていけない。というのはわかるよね。健康で元気じゃないと生きていくのが大変だ」
「それはわかる」
「じゃあ、優しくなければ生きている資格がない。というのはどうしてだろう?」
「???」
「学校で50メートル走をやったり、鉄棒をやったりした時、男子生徒の方が女子生徒よりも足も速いし力が強いだろう。もちろん、怪力女子生徒もいるかもしれないけど(笑)」
「いるいる(爆笑)」
「でも、君たちは自分の努力で女子生徒より強くなった訳じゃない。たまたま男子で生まれただけ。何の努力もせず食っちゃ寝をしていても、普通の女子との殴り合いには勝てるだろ。男子がみんな同じことをやったら、学校は滅茶苦茶になるよね。だから、力を持った者は、それにふさわしい優しさが必要なんだ。学校だけじゃなく、社会が成り立っていくためにも」
「じゃあさ~、女子が3人でかかってきた時はどうすんの?」
「“三十六計逃げるに如かず”って知ってる?逃げるが勝ちだよ。いくら女子でも相手が3人じゃかなわない。逃げても、臆病者とは言われないだろう」
「僕が言いたいことは、力を持ったらその分優しさも持たなきゃいけない、ということだ!」
我ながら上手く締めくくったと思ったのだが、子どもたちは「ふ~ん」と言っただけで、向こうへ行ってしまった(汗)
腕力だけでなく、権力や社会的地位など、夜の中には「力」というものが存在する。
「力」を持った者が謙虚さと優しさを失って暴走すれば、世の中は大混乱に陥る。
学校や職場でのイジメも「人数」や「肩書」という「力」を背景にしている。
国民の身体や財産に対して強制力を行使できる国家機関は、国民に対してとりわけ謙虚かつ優しくあらねばならない。
強大な武力を持つ国家も、その分他国に対して謙虚で優しくなければならない。
子どもたちのレベルから国家間のレベルに至るまで、大きな「力」を持てば持つほど謙虚で優しくあらねばならないと、私は信じている。
ところで昨今の北朝鮮の将軍様の変貌ぶりは、「既に力を持った」ことの裏返しなのだろうか?
強大な力を持った米国からの威嚇への対抗手段を持ち、対外的に「優しさ」を示す度量が備わったのであれば、大変結構なことだ。
優しくあるための防衛手段の範囲内なら、私は北朝鮮の核武装を一方的に非難すべきではないと思う(あくまで個人的見解だが)。
ただし、本当の優しさを持ったのなら、拉致被害者たちを一刻も早く家族の元に返してほしい。
それこそが、生きている資格としての真の優しさだ。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年4月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。