科研費の問題はまだいろいろリアクションが来るが、私は科研費そのものは必要だと思う。たとえば素粒子論で巨大な実験設備が必要な研究を、大学の経費でやることはできない。その成果を収益化することもできないし、する必要もない。知識の外部性は大きいので、研究の価値を研究者に還元するのはむずかしい。ざっくりいうと、その方法は次の4つある。
- スポンサーに金を出してもらう
- 知識を独占して「知的財産」として販売する
- 学生に学歴を与えて「授業料」として料金をとる
- 政府が裁量的補助金を出す
1はもっとも古くからある方法で、今でも世界の一流大学の資金の大部分はパトロンの寄付だ。しかしハーバードやスタンフォードの収益モデルはきわめて特殊なもので、日本の大学はまねできない。
2は研究成果を特許のライセンス料や著作権料で収益化するモデルだが、これで売れる研究も限られている。研究成果を社会的に広く共有するという観点からは好ましくない。
3は大学だが、学生が大学に行く最大の目的は専門知識ではなく学歴を得ることなので、非生産的だ。文系の学問のほとんどはこのモデルで十分だと思うが、文系の大学教師の大部分は研究もしていない。こういう集金装置としての大学は設備過剰で限界に来ており、政府が助成すべきではない。
したがって4のような直接補助は必要だが、文系ではほとんど意味がない。その経費の大部分は人件費なので、科研費とは別の「文系研究費」をつくって補助したほうがいい。その支給もなるべく非裁量的に、競争的資金として出すべきだ。
全体としていえるのは、1以外でマネタイズする方法には政府の介入が必要だということだ。くわしいことは法と経済学の教科書を読んでいただきたいが、理論的には政府の裁量的補助金という素朴な方法以外にも、研究を支援する方法はいろいろ考えられる。それこそ文系が科研費を申請できる分野だろう。