原一男監督の「ニッポン国 VS 泉南石綿村」を見て、僕が思ったこと

映画公式Facebookより:編集部

原一男、という映画監督がいる。昭和天皇パチンコ狙撃事件の奥崎謙三を追った「ゆきゆきて、神軍」は、たいへんな話題となった。作家井上光晴のドキュメント「全身小説家」も有名だ。ご覧になった方も、多いのではないだろうか。

原一男さんと僕には、長く、そして浅からぬつきあいがある。

原さんは若い頃、東京12チャンネル(現・テレビ東京)で僕が撮っていた、「ドキュメンタリー青春」を夢中になって見ていたという。

やがて彼は、僕の撮影現場に出入りするようになった。そして、ドキュメンタリー「日本の花嫁」シリーズでは、原さんに出演してもらった。そして、当時の原さんの恋人の武田美由紀と僕の3人で、日本各地のカップルを訪ね歩いた。

その後、ドキュメンタリー映画の監督として、重い障害を持つ人たちが、自らの不自由な身体を積極的に人にさらすという、「さようならCP」を発表する。「ドキュメンタリー」という世界では、僕は、いわば原さんの先達だ。

その原さんが、約20年ぶりに映画を撮った。「ニッポン国 VS 泉南石綿村」だ。「石綿(アスベスト)」とは、天然鉱石から採れる繊維状の鉱物だ。耐久性、耐熱性などに優れていたため、自動車や家庭用品など、かつて私たちの生活のなかで、さまざまな製品に使用されていた。

しかし、いまは石綿は全面的に製造中止となっている。石綿を吸い込むと肺にその繊維が刺さり、深刻な病気になる可能性があるとわかったからだ。俗に言う「石綿肺」である。長い潜伏期間を経て発症することから「静かな時限爆弾」とも呼ばれる。このアスベストがもとで亡くなられた方は多い。

この映画は、大阪の泉南地域にあったアスベスト工場に勤務していた、従業員や家族、周辺の住民の闘う姿を追ったものだ。彼らは、深刻な健康被害を受け、国を相手に訴訟を起こしていた。

1970年代のアメリカでは、アスベストによる健康被害がすでに認められていた。日本でも、1975年、吹き付けアスベストは禁止されている。しかし、代替がないという理由で、2000年代になってもそれ以外の使用は禁止されなかった。

経済発展を優先したために、日本が対策を怠ったのは明らかだろう。僕は戦時中、国民の命がいかに軽く扱われたかを、さんざん見てきた。戦後何十年経っても、国民の命は大事にされていないのではないか。「ウチらの命、なんぼなん?」という、一人の患者の言葉がせつない。

それにしても、原さんの、取材相手に張りつき、タブーに切り込む姿勢には、おおいに刺激を受ける。原さんは、僕の12歳年下、ちょうど一回り違う。彼の映画を撮る情熱をひしひしと感じ、僕もまだまだ負けてはいられない、とおおいに奮い立った。


編集部より:このブログは「田原総一朗 公式ブログ」2018年5月18日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた田原氏、田原事務所に心より感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「田原総一朗 公式ブログ」をご覧ください。