先般、中国のベンチャー企業に勤務している中国国籍の人と話をする機会があった。その際、人件費の話題が出た。
「日本は人件費が高いですね」
「昨今は、実質賃金が低下していて日本社会では不満が渦巻いていますが….」
「単純労働の人件費が高いと感じるのです。全てではありません」
指摘のように、単純労働の人件費が相対的に高いのであれば、日本の労働生産性が低いという根拠になる。
労働生産性は、大雑把に言えば、労働者一人当たりが生み出す付加価値だ。生み出す付加価値が低い単純労働の賃金が高ければ、生み出す付加価値が高い労働者の賃金が抑制される。
結果として、高付加価値労働に従事しようという強い意欲が沸かず、高付加価値労働に人材がシフトしなくなる。
低付加価値労働の賃金を抑制して高付加価値労働の賃金を上げるのは、「言うは易く行うは難し」だ。
賃金は概ね会社単位で決められているので、同じ会社で低付加価値労働に従事している人と高付加価値労働に従事している人の間で賃金格差を付けるのは、事実上難しい。
人事異動で、たまたま低付加価値労働の部署に回されることもあるし、そうなっても基本給を下げることはできない。会社側としては、低付加価値労働を非正規社員で賄おうとしたのだろう。
ところが、結果的に、正社員で低付加価値労働に従事している人たちとの賃金格差が問題となってしまった。
個人的には、日本社会も「ジョブ・ディスクリプション的働き方」を、もっと採用すべきだと考えている。
就社ではなく就職して、自分のスキルや専門性を磨くのだ。営業、経理、企画立案…等々、それぞれの分野の仕事だけに従事する。
部門の労働生産性の高低によって賃金は異なってくるが、部門間の移動の途を確保すればいい。
意欲的な人材は高付加価値部門に転向するだろうし、能力不足を嘆く人材は低付加価値部門に転向するだろう。
たとえ低付加価値部門でもスキルが高ければ賃金は上がるし転職もできる。
例えば、毎日のように行くコンビニでも、スキルの高い人材とそうでない人材が明確に区分できるケースがある。
スキルの高い人材の賃金を高くする方が公平だし、そうでなければ他のコンビニから誘いが来るだろう。
会社経営は、株主から委任を受けた「経営のプロ」である取締役が行う。
会社形態によっては、内部管理等は業務執行役員が行えばいい。
学校教育も、職業訓練分野を拡充して、就職と同時に即戦力になる人材を多数輩出すれば社員研修のコストを削減することができる。
時代の変化に応じて高付加価値分野と低付加価値分野はどんどん変化していくので、従来の低付加価値のスキルしか持っていなかった人材が(時代の変化で)好待遇で引っ張りだこになることもあるだろう。
保険のために、副業で第二のスキルを磨く人も出てくるはずだ。
会社内での人生ゲームを淡々と歩んできてネットも満足に使えずに中高年になった人たちより、簿記やプログラミングのスキルを持った商業高校や工業高校出身者の人たちの方が高付加価値人材の比率が高いと思うのだが、いかがだろう。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2019年5月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。