2018年5月10日の柳瀬唯夫元首相秘書官の参考人招致においては、柳瀬氏が加計学園・愛媛県・今治市の一行と面会したことが明らかになりました。ただ、面会したことが事実認定されたところで、そのことが国家戦略特区の獣医学部新設における加計学園の選定プロセスに影響を及ぼしたという証拠にはなりません。一方で、この日の参照人招致では、獣医学部新設を決定するにあたって首相・秘書官からの働きかけはなかったことが、国家戦略特区の決定プロセスを主導した民間人ワーキンググループの八田達夫座長によって証言されており、新たな証拠が出ない限り柳瀬氏の加計学園側との面会は問題視される事案ではないと言えます。
So What?
獣医学部新設の制度設計の検討は柳瀬氏が秘書官を離任した後に始まったことから、柳瀬氏自身が国家戦略特区プロジェクトの選定プロセスどころか制度設計にも関与していなかったことは明白です。柳瀬氏が関与することができたことは、加計学園が国家戦略特区のプロジェクトへの申請の意思を持っていることを、何も知らなかったとされる安倍晋三首相に伝えて、ワーキンググループに働きかけてもらうことのみでしたが、柳瀬氏は加計学園側との面会について安倍首相に一切伝えなかったと答弁しています。
この答弁について、野党・マスメディアは、秘書官が面会の事実を首相に伝えないことなど「ありえない」「信じられない」と主張し、柳瀬氏の関与があったことを事実であるかのように結論付けています。このように「ありえない」「信じられない」という個人的懐疑を根拠にその言説は偽であると結論付けることは【個人的懐疑に基づく論証 argument from personal incredulity】という明らかな誤謬であり、事実を立証するものではありません。そもそも加計学園側が申請の意思を持っていることを安倍首相に知らせるのであれば、わざわざ柳瀬氏を介する必要はなく、安倍首相の刎頸の友である加計孝太郎理事長が安倍首相に直接電話すれば済むことです。野党・マスメディアが合理的な「不正のシナリオ」なしにこのような追及をしていること自体がおバカすぎると言えます。
また、このときの面会で柳瀬氏が加計学園側に助言したことは「死ぬほど実現したいという意識を持つことが最低条件」という日本固有の【精神論】であり、加計学園側の本質的な利益になっていないことは明らかです。そもそも制度設計すら始まっていない段階で国家戦略特区のアプリカントでもない加計学園に対して柳瀬氏が具体的な助言をできるはずもなく、適当に精神論を語って加計学園側にお引き取りを願った可能性すらあります。野党・マスメディアは、「柳瀬氏が加計学園と3回あったことも加計学園に対する優遇である」と主張していますが、面会によって加計学園に何かしらの利益が与えられた場合にはじめてそれが「優遇」となるのであって、何の権限も与えるチャンスがなかった柳瀬氏に精神論だけ叩きこまれた加計学園にとってはむしろ時間の無駄であったものと考えられます。
愛媛県職員が出張記録に記載した「本件は、首相案件」発言についても、柳瀬氏は「個別のプロジェクトが首相案件になるとは言っていない」と否定しました。そもそも、国家戦略特区は安倍首相を本部長とする日本経済再生本部の重要案件であり、紛れもない「首相案件」です。それゆえ、国家戦略特区の説明を受けた愛媛県職員が「首相案件」と認識したとしても、至極当然のことであり、何の問題もないと言えます。
このように柳瀬氏の面会は何の問題も見出すことができない事案であるにも拘わらず、野党・マスメディアは、個々の事象を個人的懐疑に訴えることで「疑惑は深まった」と主張していると言えます。
官僚の沈黙
柳瀬氏の事案に限らず、森友事案における内閣府・文科省・国交省の対応、加計事案における内閣府・文科省・農水省の対応、自衛隊日報事案における防衛省の対応に共通しているのは、説明すればほとんど問題がない事案を官僚が不可解に「沈黙」していることです。
このような官僚の沈黙に対して、野党・マスメディアが烈火のごとく食いかかっています。その主張は「ヤマシイことがあるから情報公開していないに決まっている」というものです。これは「ある話が真実である証拠がないからその話は嘘である」とする【無知に基づく論証 argument from ignorance】という誤謬の一つの形式です。ちなみに、この【無知に基づく論証】と先述した【個人的懐疑に基づく論証】はいずれも前提が証明されていないことを根拠に結論を導くものであり、【無知に訴える論証 argumentum ad ignorantiam / appeal to ignorance】と呼ばれます。
このような【無知に訴える論証】は証拠を開示することによって基本的に無力化することができます。例えば、柳瀬氏の疑惑についても、5月10日の参考人招致によって面会に何も問題がなかったことが明らかになりました。国民の多くは、野党・マスメディアの「疑惑は深まった」という言葉に一時的に踊らされていますが、開示した証拠に対する理解が進むにつれて、問題設定の不合理さに気付くことになるものと考えられます。
ここで不可解なのは、官僚が沈黙している多くの事案は、説明すればほとんど問題がない事案であるという点です。例えば、一連の事案の中で最も深刻な問題は、財務省公文書書き換え事案であると言えますが、この事案ですら、現行法に立脚した司法の観点からすれば、違法性が大きいものではありません。毎日新聞によれば、財務省の決裁文書の書き換え問題で、大阪地検特捜部は、佐川宣寿氏ら同省職員らの立件を見送る方針であるとのことです。
毎日新聞 2018/04/13「佐川氏、立件見送りへ 虚偽作成罪問えず」[記事]
学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却を巡り、財務省の決裁文書が改ざんされた問題で、大阪地検特捜部は、前国税庁長官の佐川宣寿氏(60)ら同省職員らの立件を見送る方針を固めた模様だ。捜査関係者が明らかにした。決裁文書から売却の経緯などが削除されたが、文書の趣旨は変わっておらず、特捜部は、告発状が出されている虚偽公文書作成などの容疑で刑事責任を問うことは困難との見方を強めている。今後、佐川氏から事情を聴いたうえで、上級庁と最終協議する。
毎日新聞 2018/04/23「佐川前理財局長を事情聴取 大阪地検」[記事]
学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却を巡る決裁文書改ざん問題で、大阪地検特捜部が、当時の財務省理財局長だった佐川宣寿・前国税庁長官(60)から任意で事情聴取していたことが分かった。決裁文書から売却経緯が削除されるなどしており、虚偽公文書作成などの容疑で告発状が出されていた。佐川氏は改ざんへの関与を認めているとみられる。ただ、改ざん後の文書の趣旨が大きく変わっていないことなどから、特捜部は立件を見送る方針で今後、上級庁と協議する。
すなわち、「決裁文書の書き換えによって文書の趣旨が変わった」ことの立証が困難であるため、虚偽公文書作成などの容疑で佐川氏ら財務省職員の刑事責任を問うことも困難であるということです。月刊Hanada編集部は書き換えられた決裁文書を時系列とともに詳細に分析し、次のような結論を得ています。
月刊Hanada5月号「財務省文書の正しい読み方」
決裁文書を正式な手続きを踏まずに書き換えることはあってはならないことだ。が、この決裁文書を読んでわかるのは、近畿財務局と森友学園の折衝の克明な記録である。なぜ、改竄の必要があったのか、むしろ不思議なくらいだ。
この結論に述べられているように、非常に不可解なのは、財務省の一部職員が、立件が困難であるような軽微な内容を大きなリスクを冒してまで公文書から削除してしまったという点です。
沈黙の理由
このような官僚の一件不合理な行動について、元経産省官僚でもある足立康史衆議院議員は「過度な国会対策」であると指摘しています。
報道特注 2018/04/12[動画]
柳瀬氏は、愛媛県側と会っていてもいいし、「首相案件」と言っていてもいい。特区制度というのは構造改革特区の時代も含めて全部総理案件だ。(中略)あたかも首相案件というのは問題だという雰囲気で報道しているが、これは全然おかしくない。「なぜ改竄したんだ」とか「なぜ嘘をつくんだ」という理由は、私の整理では「過度な国会対策」だ。要は印象操作・レッテル貼・揚げ足取りをされるので、それをされないようにするというのは、確かに国会対策として官僚たちは考える。(中略)その「過度の国会対策」を生んでしまっている元凶は枝野・辻元・共産党・メディアの切り取り報道でこれがたまらない。国会にいるとわかるが、メディアの切り取りにどれほど苦労しているか。
池田信夫さんはマスメディアの「過剰報道」に対して次のように指摘しています。
アゴラ「マスコミの「過剰報道」が国会を迷走させる」[記事]
森友学園が一段落したと思ったら、今度は加計学園で「首相案件」という話が出てきた。これは事実だとしても違法行為ではない。シリアでは空爆が始まったというのに、こんなくだらない話に国会審議を浪費している場合ではない。(中略)政府にとって大事なのは、過剰報道に振り回されないで「違法行為かどうか」を基準にして危機管理することだ。隠蔽は最悪だが、報道を小出しに確認するのもよくない。違法行為に限定して事実を徹底的に調査し、特別委員会をつくって集中審議すべきだ。
このように、官僚が不可解に沈黙する理由として「過度な国会対策」とそれを支える「過剰報道」の存在を考えることができます。官僚は不合理な騒動に巻き込まれることを忌み嫌って誤解を受けやすい情報を沈黙した可能性があります。
沈黙の発生メカニズム
官僚の沈黙のメカニズムについて、実は私も以前ブログで指摘しています。
「豊洲市場の地下空間問題の最大の問題点/マスメディアの悪意報道」[記事]
東京都が基本的情報を公表しないことは民主主義社会にとって問題があると考えられます。ただし、なぜ東京都が情報を公開しないかということについても考える必要があると思います。東京都が情報を公開しない理由としては次の2つが考えられます。
(1) 自らの行動が招いた不都合な状況が明らかとなって社会から正当な批判を受けることを回避するため
(2) 自らの行動がマスメディアや反対運動家の不当な宣伝により社会から不当な批判を受けることを回避するためこのうち(1)は自明なことですが、(2)はあまり指摘されていません。例えば、原子力関連の事業者(例えば電力会社やJAEA)が何かの安全対策を実施すると、マスメディアや反対運動家は「何か問題があるから安全対策が必要なのであろう」として現状を常に否定してきました。今回も「羽鳥慎一モーニングショー」でテレビ朝日のコメンテイターがまったく同じことを言っていました。これはバックフィットの考え方まで否定するものであり、このような(第四の)権力者の発言によって事業者は萎縮し、必要な安全対策もとれなくなる事例が過去に何例もあるとされています。私たち国民にとって重要なことは、今回の東京都の運営について批判することが必要であると同時に、マスメディアや運動家の非論理的な言説についても厳しく批判することが必要であると考える次第です。
豊洲市場において、一般の大型建築物に通常設置されるメンテナンス空間としての地下空間の存在は極めて重要であり、将来地盤に何かしらの問題が生じたときにも市場の安全性を保ちつつ対策を行うことができるフロント空間が確保されたと言えます。メンテナンス空間なしの素案に対して、地下空間を設置する設計変更の判断は工学的に適正であり、むしろ都庁官僚のファインプレイと言えます。
しかしながらこの設計変更は共産党の調査の対象となり、小池百合子都知事によって情報公開され、都民の食の安全性を脅かす手抜き工事として思考停止のマスメディアが大問題化しました。小池知事の情報開示以降連日にわたり、科学的・工学的な常識を全く持ち合わせていないワイドショー出演者が極めて不合理な批判を朝から夕方まで繰り返し、大衆を情報操作しました。その結果発生した大衆の【集団ヒステリー】により、多大な風評被害、市場移転の遅延、東京五輪(環状2号線整備)の計画変更が生じ、挙句の果てに多くの無駄な税金が費やされることになりました。
ところで、都庁官僚はなぜ工学的に適正である設計変更について適正に情報開示しなかったかのでしょうか。それは、計画の変更に対して合理性を無視した追及で政治問題化する共産党などの反対派勢力の存在があったためと考えられます。一般に、合理的な相手に対して合理的な根拠を明示することは有効ですが、不合理な相手に対して合理的な根拠を明示しても必ずしも有効であるとは限りません。ここに官僚が沈黙するというオプションが発生してしまう落とし穴があります。
設計変更の判断を合理的と確信している都庁官僚には次の二つのオプションがありました。
[オプション1]
設計変更の情報を反対派やマスメディアに与えず、最小のエネルギーで合理的と確信する最終結果を得る。[オプション2]
設計変更の情報を反対派やマスメディアに与えて、多大なエネルギーを浪費した上で合理的と確信する最終結果を得る。
このうち[オプション1]は無駄なエネルギーを消費しないので、プロジェクトを最短かつ最小のコストで完成することができます。そしてこのこと自体は納税者でありプロジェクトの受益者でもある都民にとって有益であると言えます。一方で、[オプション2]は無駄なエネルギーを浪費するので、都民に不利益を与えかねません。実際、都庁官僚は[オプション1]を選択しました。どうせ結果が同じであるのならば、エネルギー最小限理を採用した方が都民にも官僚にも有益であるという意識があったものと考えられます。
ここで、実際に方策が合理的である場合、[オプション1]のような【嘘も方便】的な沈黙(実際には嘘はついていない)は効率的な措置ではあります。しかしながら、このメソドロジーは、一部のエリートが集団の運命をことわりなく決する共産主義の考え方と一致するものであり、民主主義の精神を逸脱したものに他なりません。未来に適用させる方策に必ずしも成功は保障されないことに注意する必要があります。
その一方で、官僚が[オプション1]を選択するのは、政治家・マスメディア・活動家が極めて不合理な言いがかりで民主主義的な手続きを慢性的に阻害している事実があるからに他ならないと考えられます。無駄であることが自明な議論に対して多大な費用と時間と労力を費やすことを「民主主義のコスト」という言葉で簡単に片づけてしまうことはあまりにも理不尽であると言えます。
沈黙の危険性
特定の事案に対する過剰な追及と過剰な追及対策はその事案の議論を空転させますが、これがさらに行き過ぎて、日本社会に極めて大きな損失を与えた事例があります。それは東日本大地震発生時の福島第一発電所の事故です。
原発事故の原因は、地震動ではなく、津波に起因する外部電源の消失により冷却機能を失ったことにあることが事故調調査委員会により明らかにされました。すなわち、適正な想定に基づき津波対策を行っていれば、原発事故は発生しなかったと言えます。東京電力はなぜ適正な津波対策を行うことができなかったのでしょうか。その本質は、2012/12/14第2回原子力改革監視委員会[原子力組織の持つ構造的な問題への対策]に示されています。
当該資料別2-2(左下部)と別2-13に示されているように、東京電力は、津波対策によって安全は既に確立されたと思い込み、安全でないことを認めると、追加対策が必要な状態で運転継続するという説明ができないことから、リスクコミュニケーションを躊躇したと証言しています。
このことは、2012/10/12東京電力原子力改革特別タスクフォース[原子力改革の進め方]のpp.12において「過酷事故対策が不足した背後要因」として具体的に示されています。
・過酷事故対策の必要性を認めると、訴訟上のリスクとなると懸念した。
・過酷事故対策を採ることが、立地地域や国民の不安を掻き立てて、反対運動が勢いづくことを心配した。
・過酷事故対策を実施するまでの間、プラント停止しなければならなくなるとの潜在的な恐れがあった。
事故発生原因の本質とも言えるこの内容は、反対運動を好意的に報じてきた日本のマスメディアには軽視され、詳しく報じたのはCNN[記事]だけでした。
東京電力が根拠のない安全神話を作ってしまったことは絶対に許容できないことですが、その安全神話形成の根幹に心理的な背景があったことには留意する必要があると考えます。すなわち、反対派は新たな知見をその都度取り入れるバックフィットという合理的な考え方をすべて否定していたため、東京電力は、安全でないことを認めると訴訟リスクにつながると懸念していました。
ちなみに東京電力は、訴訟が発生すると発電を停止することになるため、たとえ訴訟が最終的に棄却されても極めて大きな経済的損失を被ることになります。その一方で、反対派の運動家は、たとえ敗訴になっても余分な電気代(停止による発電コスト増)を負担する国民や電力会社の株主に対する一切の責任を負担する義務を免れていたため、ゼロリスクで訴訟を行うことができたと言えます。
エピローグ
官僚の沈黙は、ときに国民に大きな損失を与えるため許容すべきでありませんが、その背景には野党とマスメディアによる理不尽な追及があることは自明です。野党・マスメディアが、問題がない事案や合理的な方策に対しても、常軌を逸した不合理または過剰な責任を求め、当事者を悪魔化し続けている状況はあまりにも異常です。野党・マスメディアが多用する【個人的懐疑に基づく論証】および【無知に基づく論証】は、基本的にいかなる事案に対しても客観的根拠なしに適用することができるので、野党・マスメディアは「疑惑はさらに深まった」とエンドレスに言い続けることが可能です。
国会に期待したいのは、池田信夫さんが主張されるように、「過度な国会対策」と「過剰報道」に振り回されず、違法行為に限定して特別委員会で事実を徹底的に集中審議することです。しかしながら、労力と減点を少しでも回避したい与党も、使える物はすべて使って倒閣したい野党・マスメディアも、論理的な議論には消極的なようです。
このような不合理な事態を回避するために国民にできることは、理不尽な議論を常に見極めて過度な「民主主義のコスト」を許容しない姿勢を世論を通じて示すことであると考えます。政治家の【ポピュリズム】とマスメディアの【センセーショナリズム】に国民が振り回されることこそが「理不尽に造られた問題」を深刻化・長期化する最大の推進力になると言えます。
ただ、いくら官僚が誠心誠意丁寧に反論したとしてもその場面がテレビで取り上げられることはほとんどなく、蓮舫議員の「あなたの記憶は自在に無くしたり想い出したりするものなのですか」といったメディア提供用の「台詞」のみが何度もテレビで繰り返し取り上げられるという【チェリーピッキング cherry picking】の実態を見れば、それもかなり困難な状況と言えます。
マスメディアの情報操作はとどまるところを知りません。
編集部より:この記事は「マスメディア報道のメソドロジー」2018年5月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はマスメディア報道のメソドロジーをご覧ください。