ども宇佐美です。
さて月曜日の朝から香ばしいタイトルの記事ですが、やや日刊カルト新聞の創業者の藤倉氏に絡まれております。
原因は5/31に開催した、松本麗華氏を招いての講演会です。
事前に記事の確認はできないとのことで、相当ネガティブな記事が来ると思うので、あらかじめ私の立場について語っておこうと思います。
<①松本麗華氏を講演に招いた経緯?>
→まず今回の講演企画の動機となったのは私の「フェイクニュースを信じきっていた過去の自分への反省」である。私は1995〜1997年ごろの「アーチャリーがテロを起こそうとしている」「アーチャリーが安達祐実を殺せと指示した」といった種の報道を当時すっかり信じ込んでいたし、またその後も率直に言って「アーチャリーなんてさっさと牢屋にぶち込まれてほしい」としばらく思い続けていた。この種の松本麗華氏に対する認識は大学に入って自分でオウム真理教について調べるにつけ、徐々に修正されていったのだが(むしろオウム真理教の異常性については認識を強めた)、「止まった時計」を読んだ際にも「悪意はなかったとは言え自分もフェイクニュースを広げた側で申し訳なかったな〜」と感じており、何らかの形で麗華氏側の主張を伝える場を設けて、この「申し訳ない」という気持ちを解消したいと前々から思っていた。
→そのような中、昨年5月ごろabema prime を通じて間接的に松本麗華氏と知り合う機会を得ることができ、twitterでメンションを飛ばし合う程度の関係を構築することができた。おときた先生とのサロンでは月一でゲストを招いてオフラインイベントをしているのだが、その際には毎回主催者(宇佐美とおときたが交互に努める)側から複数ゲスト候補をあげ、サロンメンバーの意見も踏まえて、ゲストを決めることとしている。5月のイベントは宇佐美が担当だったので、松本麗華氏とその他のゲスト候補を宇佐美側から提示し、サロンメンバーの投票により松本麗華氏をゲストに招くことを決めた。
<②当日の講演の内容について>
→5/31当日のイベントは全部で2時間で、1時間は松本麗華氏のこれまでの人生を振り返り、1時間は会場から質問を受け付ける、という構成で開催した。開催側の意図としては「感傷的になり過ぎないために
事実をおさえつつ、麗華氏の主張を伝える」というものであった。その意味で、中立的であったか、というとそもそも麗華氏の主張を伝えるためのイベントだったので、そうではなかったと言える。ただ事実を踏まえたイベントになるように、オウム事件関連の年表を作成して、会場で共有した。以下本日私が使用した年表資料を添付しておく(青文字がオウム関連の歴史、黄色で塗りつぶしているのが松本麗華氏関連の経歴)。
→以上を踏まえて松本麗華氏に関する私のスタンスを述べると、率直にいって私は松本麗華氏の人生を応援したいと思っている。ただ無制限に応援するというつもりはなく、これは本人にも伝えていることだが、「私が妥当だと思う範囲で」応援するつもりではある。実際6/4に立ち上げ予定の「オウム事件真相究明の会」への賛同人署名に関しては依頼があったがお断りしている。
→なぜ松本麗華氏を応援したいと思うか、という点についてだが、これは理由が大きく三つある。一つ目は、私自身の希望として「日本が殺人事件の加害者の娘であっても幸せに生きられるような社会であること」を願っているからである。我が国は憲法13条によって全ての日本国民に幸福追求権を認めており、犯罪者の娘だからといってその権利を犯される所以は全くない。他方彼女がこれまで送ってきた人生を考えると、社会はこうした建前に反して差別的処遇をしてきたことは間違い無い。彼女がこうした現実と戦おうという意思がある限りは、私は私自身の信念としては彼女を応援したいと感じている。
→続いて二つ目は私自身が「日本社会のためにはオウム真理教事件の事実認定はやり直すべき」と考えているからである。率直に言って私は松本麗華氏の「松本智津夫氏の裁判をやり直すべき」という主張には同意できないが、裁判での事実認定は大いに問題があると思っている。オウム真理教が起こした一連の事件は、常識的に考えれば、全盲の教祖が全てを的確に把握し指示をしたと考えるにはあまりにも複雑で規模が大きすぎる。したがって再発防止の意味でも公安調査庁を中心に事実認定をやり直すべきと考えており、その意味では彼女の活動を応援したいと考えている。
→三つ目だが、単純に私は人間として松本麗華氏と気があうからである。先日のイベントの後も「俺ら結構気があうよね」ということで意気投合した。私はわりと女性から見ればチョロいタイプの男性であるので、うまいこと松本麗華氏の手のひらで踊らされている可能性はなくもないが、多分そうではないと思う。それ自体が問題だと、主張する人もいるかもしれないが、少なくとも我が国に「殺人事件の加害者の娘と意気投合してはいけない」という法律は無いはずである。
<④やや日刊カルト新聞の報道姿勢について>
→最後にやや日刊カルト新聞の報道姿勢についてだが、2点ほど言いたいことがある。一つは「なぜ公式に取材の申し込みの依頼をしてくれなかったのか?」、ということと、もう一つは「問題があると感じたなら、なぜ当日質疑応答の際に指摘をしてくれなかったのか?」ということである。
→後者について補足すると、イベント当日の質疑応答の時間では、サロンメンバーの質問受付を優先したが、結果としてメンバー外の質問も含めて全てお答えする時間を確保した。それにもかかわらず、やや日刊カルト新聞は当日質問をせず、また事前に原稿確認もさせずに、記事を掲載するつ通知してきた。このようなやり方はフェアではないと感じるところである。
あと余談だが藤倉さんは私を怒らせようとしておちょくってくるのはやめてほしい。私も短気なので実際それは効果が上がっている。
ではでは今回はこの辺で。
編集部より:このブログは「宇佐美典也のblog」2018年6月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のblogをご覧ください。