公文書改竄、第三の可能性を考える --- 勝沼 悠

寄稿

森友問題を発端として財務省の公文書改竄。財務省としての処分が発表されましたが、動機の解明もはっきりせず騒動は収まる気配を見せません。動機としてありえそうなのは、政治家による指示があったとする命令説、指示はなかったが勝手に官僚側が政治家を慮ったという忖度説が考えられるわけですが、私はかねてから懸念していたもう一つの可能性が実はかなり高いのではないかと考えるようになりました。

それは公文書がそもそも官僚に大事に扱われてないという説です。最初の二つの可能性は公文書は官僚にとって非常に重要なものであり、改竄するには何か特別な理由がないとありえないという前提の上に成り立っています。もし、その前提が間違いならというのが私が指摘する第三の可能性です。公文書が官僚の間で重要視されていない。当初はひょっとしたら程度だった疑念が仮説として強くなったのは『公文書問題 日本の「闇」の核心』という本を読んだからです。

詳しくはぜひ本を読んでもらいたいのですが、この本の主旨は官僚は職務上の情報を後で広く公表して確認できるように保存することを重要視していないということに尽きます。これにはいくつものからくりがあります。例えば、公文書をしっかりと管理することを守っていたとしても、何が公文書なのかを官僚が自由に決めていいのならば公文書管理は絵に描いた餅になります。都合の悪い文書は公文書でなく私的メモとして処分できるのですから。これは昨今のニュースで見た光景です。

もちろん、官僚が公文書を軽く扱っているからというだけで今回の財務省の改竄があったとも思えません。そこには圧力や忖度もある程度は関係しているのではないかと考えています。もっともその割合がどれくらいかがかなり重要で、まだはっきりしてないわけですが。。。

私たちはつい自分の思い込みで相手の主観をこうだと決めつけてしまいがちです。でも、もしそれが間違っていたら。。。官僚の主観を正しく理解しないかぎり、今回の改竄問題、そして森友、加計学園の問題もその真の姿が見えてこないのではないでしょうか。

勝沼 悠   専門健康心理士
桜美林大学大学院修了後、15年に渡りスクールカウンセラー、教育相談員など、教育現場や医療現場で心理職として働いています。