今回の北海道取材ツアーでは、現地発のニュースを発信したほか、昨年にないもう一つの特徴があった。それは複数回にわたり、当地の日本メディアに私たちの取材活動が報じられたことだ。これには大学の先生たちも驚いた。
一つは、帯広、十勝を拠点とする十勝毎日新聞の6月5日付紙面。
前日の6月4日、「十勝千年の森」をデザインした高野文彰氏の案内で森の中を歩いた。高野氏は私たちを非常に熱心に受け入れてくれた。この取材については、学生が文字と映像による入念な編集作業をしているので、完成し次第、改めて紹介したい。
十勝千年の森の所有者は、十勝毎日新聞社で、同社のグループ会社が経営している。紙を大量に使用する新聞社として、森林資源を保護する社会的責任があるという理念に基づく。能勢雄太郎地方部長がカメラマンと取材にきて、私たちの全行程に同行し、記事にしてくれた。
もう一つは、北海道最大手の北海道新聞6月7日付紙面だ。
私たちは5日昼、帯広から列車で函館に入った。スーツケースを引きずったまま、地元で17店舗を擁する最大のハンバーガーレストラン「ラッキーピエロ」に直行し、華僑の王一郎会長に北海道における華人社会の発展を取材した。その後、二手に分かれ、一チームは開業二年目の函館新幹線に試乗し、もう一チームは函館中華会館の調度品を研究している函館ラサール高校の小川正樹教頭から、華人社会と中華会館のかかわりについて話を聞いた。
いずれも印象深い取材だったので、日を改めて報道作品や取材の裏話を紹介できると思う。そして何よりも感謝しなければならないのは、記事を書いた北海道新聞函館支社の田中華蓮記者だ。いくつかの取材のアレンジをしてくれたうえ、最後は札幌に帰る列車の中まで見送りに来て、地元特産の洋菓子を差し入れてくれた。きめ細かい心遣いに学生たちが感動していた。
田中記者は、私にはカレンちゃんと呼んだ方がなじみがある。私が北京で新聞社の責任者をしていたとき、事務所に新聞スクラップのアルバイトに来ていたのが彼女だ。高校から北京の学校に進み、当時は人民大学新聞学院に在籍していた。新聞学院の中では最高峰の大学である。双子で、妹は同じく北京大学で中国文学を専攻していた。父親が北京の魯迅博物館で専属カメラマンを務める田中政道氏で、かなり前からの知り合いという縁も重なった。田中氏の妻であり、カレンちゃんの母親である周寧氏が魯迅の一人息子、周海嬰氏の娘で、つまりカレンちゃんは魯迅のひ孫ということになる。
彼女は夢かなって新聞社に入り、2年目の駆け出し記者として奮闘中だ。本人は言わなかったが、後日、北海道新聞の同僚から聞いたところによると、函館で中国人観光客の乗ったバスで火災が起きた際、取材として現場に駆け付けただけでなく、観光客の中国語通訳として病院まで同行し、消防署から表彰を受けたという。 彼女らしい働きぶりだと感心した。
以下の写真は、函館の居酒屋で彼女を囲み打ち上げをした際のものだ(右列前から3人目が田中華蓮記者)。魯迅のひ孫だということで、記念写真をせがむ学生もいた。北京で会って以来、思いもかけない、忘れがたい再会だった。
北海道の人々の温かさを各地で感じる旅だった。それが2編の記事として残ったことを、うれしく思う。
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2018年6月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。