小泉氏らの提言:国民目線、野党にも意味のあるフェアな国会改革

松井 孝治

YouTube(The Page)より引用:編集部

小泉進次郎議員などを中心とする2020年以降の経済社会構想会議が、昨夕、国会改革に関する提言をまとめ、二階自民党幹事長に内容を説明し党内での検討組織の設置を求めるとともに、記者会見し、本日には超党派での国会改革議連も発足させる予定とのことです。

国際的に見れば、日本の国会の会期の短さや会期不継続の原則(国会が閉会になると未成立の法案などは原則廃案になってしまう)に起因する審議拒否などの「日程政治」は異常なものですし、首相、閣僚の国会拘束は諸外国に比較して、とても厳しいものです。

しかし、その割に、日本の国会では、各党や政府と野党の討論や、法案の与野党修正協議はほとんどありませんし、国会の審議時間も、戦後中長期的に減少傾向です。

小泉進次郎議員を中心にした、自民党若手議員の国会改革議論の面白さは、単純に国際水準で比較して、野党の日程闘争の「武装解除」(例えば私の持論である通年国会などにより審議拒否を意味なくさせる)を求めるのではなく、野党時代の自民党の経験も踏まえて、野党の立場や主張も取り入れて、

①国家ビジョンを討議する党首討論(夜間開催)や大臣討論

②法案・政策を審議する委員会

③重大な問題やスキャンダルを議論する特別調査会

の3トラックを同時併行で行うべきではないかという提案であることです。

つまり、疑惑の追及は、野党の求めにある程度柔軟に応じる形で、専門家の調査分析の力も借りて、論拠に基づいた客観的な調査と議論を行う。ただ、国会がそれ一色となるのではなく、それと同時併行で、国家ビジョンや政策論議、法案審査も行い、全体として国会を活性化させようという提案だと理解します。

①は、党首討論は可能な限り隔週開催(それも国民の多くがライヴで視聴できる夜間に開催すること)や、大臣と野党カウンターパートの定期的討論によって、短時間でも首相、大臣、そして野党カウンターパートが胃が痛くなるような緊張感のある議論を行って欲しいものです。

②については、私個人の思いとしてはもっと副大臣などを活用して、さらに法案によっては与党事前審査を緩めて、委員会の場で法案の与野党修正も含めて、しっかりとした議論を行って欲しいところです。

③については、野党による追及も結構ですが、政争のための政争ではなく、かつての原発国会事故調のように、問題の性質に相応しい専門的人材を短期間でも良いので国会に招集して、客観的な材料やデータに基づいた議論と一定期間後の報告書のとりまとめを行って欲しいと考えます。

この提言で、具体的提言の冒頭に③の特別調査会の設置が位置付けられ、更に①の党首討論の隔週、かつ夜間開催が提案されているあたりに、小泉議員などの中核メンバーが、国民目線や野党にとっても意味のある国会改革にしなければならないとの基本姿勢に拘ったことが見てとれます。

一言で感想を申し上げれば、フェアな提言だと思います。

もちろん、首相や閣僚が答弁もないのに国会に縛り付けられる慣行の見直しや、国会法、議院規則などの規定に則り、議長や委員長が十分な余裕をもって日程設定出来るようにすべき等の、政府与党にとって成し遂げたい、国会運営の合理化、効率化も含まれていますが、これらは永田町、霞が関の働き方改革の観点から、野党も真剣に検討せざるを得ない課題でしょう。

橋本行革や政治改革による小選挙区制の導入など、平成30年で強化された総理主導、内閣主導を口汚く否定する向きもありますが、国際社会がダイナミックに動く中で、首相のリーダーシップ強化を否定せず、しかし、強すぎる内閣の弊害があるならば、健全な行政監視や討論のアリーナとしての国会を活性化させ、民主的統制を確保し、国民本位の政治を作るという姿勢は評価できます。

この提言が契機となって99年に小沢一郎議員が提起した国会審議活性化法以来の本格的な議論の幕開けになる可能性もあります。

かつて政府与党の一元化や与党事前審査の見直しに取り組んで実行出来なかったのは、同時決定で行うべき国会改革が組み合わされていなかったことが大きな要因の一つです。逆に言えば、国会改革の議論を契機に、今回具体的には踏み込んではいない、政府・与党の関係や、政官の仕切り線のあり方も避けては通れない課題となるでしょう。

加えて、通年国会、会期不継続の原則の見直しから、首相の解散権の行使のあり方、政権公約の議論のあり方に至るまで、構想会議では活発な議論は行われましたが、与党内の様々な議論や野党への配慮などもあって、提言内では必ずしもすべてに渡って具体的な方向性が示されている訳ではありません。

しかし、まずはこの若手の問題提起を自民党内に設置されるであろう検討の場や、本日にも発足する超党派議連などで揉んで、今は多くの国民から不信感をもって見られている政治の信頼回復と政策論議の活性化を成し遂げて頂きたいと思います。

国会改革は、国会議員の言論のルール作りです。そして与野党の各議員が、地元の有権者と直に接する中でで、実は誰よりも今の国会が国民の期待に応えていないことをわかっているはずです。

学者や評論家が議論するのではなく、我が国の、そして時に国家間のルール作りを担当する国会議員が議論する以上、必ずや机上の議論ではなく実行に移して頂きたいと思います。

恐らく、選挙で余り票にはなりにくいテーマにも関わらず、若手議員の皆さんが3ヶ月にも及ぶ期間、毎週集まって、毎回二時間以上真剣に議論をして来られた姿を、私は幸運にもオブザーバーとして拝見して来ました。
かつて統治機構改革を手掛けた人間として、現役時代にこうした議論の仲間作りが出来なかったことを反省しつつ、こうした地味だけれど大切な課題に、30名もの政治家が、異論反論も含めて活発に討議し、コミットされたことの意義は、実は中長期的にとても大きいと思います。かつての政治主導確立法案が不成立となったのは、与党にも野党にも改革の同志が圧倒的に不足していたということに尽きるからです。

森友加計問題で特別調査会を設置できないのに格好だけつけるなとか、提言の一部だけ取り出して批判したり、揶揄したりする向きも、永田町内外にあるかも知れません。

しかし、国会改革について過去の事例調査も含めてこれだけの議論を行った議員グループは、98年から99年にかけての国会審議活性化を巡る議員間のやり取り以外には存在しないのではないでしょうか。

彼らの提言の挑戦を、その意図するところの全体を、可能な限り読み取った上で、与野党による活発な議論へと発展させ、そして必ずや、一定期間のうちに、なにがしかの実行へというプロセスを辿るのが、永田町に生きる政治家、特に中堅・ベテラン議員の若手のチャレンジに対するフェアな態度だと思います。

各党の議員の皆さんの今後の実行と国民の叱咤激励を心から期待しますし、自分も元議員としても一国民としても、関わり続けて行きたいと思います。


松井 孝治(まついこうじ)元内閣官房副長官、慶應義塾大学教授
1960年京都生まれ。東大教養学部卒業後、通産省入省。橋本政権下では内閣副参事官として「橋本行革」の起案に携わった。通産省退官後、2001年の参院選で初当選(京都選挙区)。13年まで2期つとめた。現在は慶應義塾大学総合政策学部教授。


編集部より:この記事は、松井孝治氏のFacebook 2018年6月27日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた松井氏に心より感謝いたします。