総理の長広舌に左右される党首討論は運用を改めるべき

6月27日の党首討論(衆議院インターネット中継より:編集部)

今の党首討論には意味がない、などとみんなが言い始めると、本当に党首討論が行われなくなりそうだから、私は出来るだけそのような物言いはしないように努めている。

しかし、こんなんじゃダメだなあ、という気持ちがあることは、否定しない。

世の中には納得できないことや満足できないことが蔓延しているので、クレームをつけ始めるとなかなか抑えられなくなる。
出来るだけいい面を見ようとするが、実際に脳裏に残るのは大体は悪い面。

昨日の党首討論はそもそも見ようというインセンティブがまったく働かなかったので見ていない。
今朝の新聞やインターネットの情報で昨日の党首討論が実に実りのないものだった、という識者の方々の感想などを読んで、やっぱりそうだったのか、と納得している次第。

私が今の党首討論に何の期待もしていないことに気が付いて、自分自身驚いている。

討論というくらいだから丁々発止の議論が繰り広げられるのか、と思っていたが、今の党首討論はそれぞれの政党の代表による一方的な主張の垂れ流しのように映る。

明らかに党首討論の時間が短すぎる。

野党の党首の意見陳述の後に総理の答弁がなされることになっているが、党首討論の割り当て時間が野党党首の意見陳述とこれに対する総理の答弁の合計の時間ということになっているから、総理の答弁が長ければ結局野党党首の意見陳述の時間がそれだけ短くならざるを得ない。

これでは党首討論は本当の討論の場ではなく、与野党の党首による一方的な意見陳述の交換の場だということになってしまう。

議論が噛み合うこともあるだろうが、大体は噛み合わない。
議論が噛み合ってくればそれなりに面白くなってくるのだろうが、現状では噛み合わないから、まず面白くない。

党首討論を導入した時の思いが、まったく生かされていないようである。
野党の党首が次から次へと登場する、というのもおかしなものだ。

党首討論に登場したすべての皆さんに不満足感を残してしまいそうなのが、今の党首討論である。

これは何とか変えた方がいい。
少なくとも野党党首の持ち時間が総理の答弁の長短で左右される、という現在の運用は改めた方がいい。

安倍総理は、どうやら長広舌の徒のようである。
ご自分の長広舌で野党の党首を煙に巻こうとしておられるのだったら、感心しない。

どう見ても、今の運用はフェアではない。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2018年6月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。