大阪北部地震による高槻市立寿栄小学校のブロック塀崩壊で生徒が亡くなったニュースは、悲しい被災事故というだけではなく、現行の教育員会制度がもたらした事件ではなかったかと思う。そう思ったきっかけは、寿栄小の校長先生の記者会見をテレビで見たときの違和感であった。
会見の中で校長先生は、3年前に防災アドバイザーから当該ブロック塀の危険性を指摘されたことを明らかにし、続いてそのことを教育委員会に報告した旨を強調した。校長として教委に報告するのは当然のことなのであえて強調したわけではないかもしれないが、私にはそのように見えてしまった。
過去に民間人校長を経験して、校長と教育委員会の関係に疑問を感じていた私は、「教委」という言葉に反応してしまう。いじめ事件が起きると会見に出てくるのは多くの場合が教育長か委員会事務局の幹部である。そんなとき「学校現場の責任者である校長はどこに行ってしまった」といつも思っていた。だから今度の震災事故でも、「教委に報告すれば(校長の仕事は)終わりかよ」とつい頭が反応してしまった。
さらに校長先生は、教委の検査で安全だと言われた経緯を語った。そこで、教委がどんな検査をしたのかと思っていたら、後の市教育長の会見で教育委員会事務局の職員が簡単な検査をして安全と決めていたことが判った。建造物検査に特段の資格を有しない職員の検査だったという。ここで「やっぱり、地方自治体の縦割り行政か」と、2年前まで地方自治体の行政に携わっていた私の頭が反応した。
一定規模以上の地方自治体には建設部と称する部署があって、建築・土木の専門の職員がいるし相談できるコンサルタントも身近にいる。高槻市も例外ではないと思う。防災の専門家に危険性を指摘されたブロック塀の安全性となると、まさに彼らの出番であったはずだ。ところが役所の縦割り行政はそうはさせない。とりわけ教育委員会事務局という部署は、その縦割りの最たるものといえる。だから「やっぱり」と思ってしまう。
さらに、当該ブロック塀が明らかに建築基準法違反であったことが判明する。ここまでくると私の興味は「誰がどんな発注をしたのか」までくる。自治体によっては学校の卒業アルバムまで入札しろというところもあるので、おそらく入札だったのだろう。とすると、誰が入札規格を作ったのか、十分な専門知識を有する職員が作成したのかが疑問になる。
このように私の関心が独り歩きしてしまうのは、根底に教育行政における教育委員会制度の機能不全という問題意識があるからだ。
学校教育法では校務は校長がつかさどるものとし、その校務は物的管理も含む学校運営に必要な全ての仕事を包括的に示したものと解釈されている。したがって、教育委員会と校長の関係は上下関係にあるが、教育現場の責任者はあくまで校長である。民間企業でいえば校長は工場長か関係会社の社長であり、教育委員会は本社という関係に類似している。
果たして寿栄小の校長先生は教委に安全と言われただけで何もしなかったのだろうか。教委の判断は判断として、現場を預かる責任者として対応策のための予算要求を市と交渉しただろうか。自分の判断でできること、すべきことは何かなかったのか。
これらの問いかけは校長先生個人に向けるものではなく、校長職を含む教育委員会制度が正しく機能していたのかという問いかけである。民間企業の工場長が現場の安全が危惧されるときに本社への報告と本社職員の安全確認をもって全てよしとしてしまうとしたら、これはダメだ。工場長の意識の問題だけではなく、そうさせる会社組織に問題がある。
学校は良いことも悪いことも何が起こっても不思議ではない場所である。その場所長である校長は、常に当事者意識をもって問題解決の先頭に立つ存在であってほしい。それを妨げているのが教育委員会制度のように思えてならない。
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鈴木 光一(すずき こういち) 元地方自治体副市長
三井物産で国内外の投融資プロジェクトを手掛ける。退職後、民間人校長(高校)、NGO事務局長を経て公募で地方自治体の副市長に就任。28年3月に任期満了で退任。ボクシングと登山が趣味の前期高齢者。