男子フィギュアスケートの羽生結弦選手が国民栄誉賞を受賞しました。
日本を代表して世界を相手に戦い、多くの人に感動を与えた姿は賞賛に値すると素直に思います。
私自身も、このたびの受賞を喜ぶ一人です。
今回の受賞にあたり、大きな話題をさらったのは羽生選手の出で立ちでした。
単に和装と紹介されるのみならず、その詳細までが話題となりましたが、羽生選手の地元・宮城県の特産品でもある仙台平(せんだいひら)と呼ばれる袴です。
この仙台平ですが、実はおよそ百年前にも大きな話題を呼びました。
1913年(大正2年)2月5日、第30回帝国議会の本会議にて、後に「憲政の父」と呼ばれる尾崎行雄がときの内閣総理大臣・桂太郎に対する弾劾演説を行ないました。
彼ら(=桂内閣)は常に口を開けば直ちに忠愛を唱え、あたかも忠君愛国は自分の一手専売の如く唱えておりまするが、
その為すところを見れば、常に玉座の蔭に隠れて政敵を狙撃するが如き挙動を執っているのである。彼らは玉座をもって胸壁となし、詔勅をもって弾丸に代えて政敵を倒さんとするものではないか。
尾崎にしては短いわずか20分弱でしたが、この演説は憲政史上もっとも成功した政府批判と言われています。
玉座(ぎょくざ)は天皇陛下の例えですが、この演説が行われた際に尾崎が身にまとっていたのが、他ならぬ仙台平の紋付袴でした。
鬼蔦(おにづた)の紋をあしらった装束に身を包み、人さし指をさしながら桂太郎に迫りよる様子は、その舌鋒もさることながら、颯爽(さっそう)とした装いも手伝って大いに話題となりました。
それから100年あまりの時を経て、こうして仙台平が注目をあつめたことには、何とも例えようのない奇縁を感じます。
ここ一番の大舞台を演出し、しかも羽生選手が着用されたことで和装が再び脚光をあびる。地域産業にもスポットを当てることにもなる。
単なる装いというばかりでなく、こうしてわざわざ身に着けるものは「想いを身にまとう」という比喩にもつながります。
昨今の政治の場においては滅多にお目に掛かることの無い和装ですが、今回の出来事を機会に「いいな」と思う方が政界のみならず、様々なシーンで増えたら。そう思うと胸が躍ります。
いつの日か、仙台平が「覚悟」あるいは「ここ一番」の代名詞となる日も訪れるかも知れません。
羽生選手の受賞シーンには、ふとそんなことを思い浮かべました。
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高橋 大輔 一般財団法人尾崎行雄記念財団研究員。
政治の中心地・永田町1丁目1番地1号でわが国の政治の行方を憂いつつ、「憲政の父」と呼ばれる尾崎行雄はじめ憲政史で光り輝く議会人の再評価に明け暮れている。共編著に『人生の本舞台』(世論時報社)、尾崎財団発行『世界と議会』への寄稿多数。尾崎行雄記念財団公式サイト