「パワポを捨ててストーリーを語れと言われても、ストーリーを語っていたら1時間以上もかかってしまう…」
「パワポを捨ててストーリーを語れ」と聞かされても、こういう不満を持つ人がたくさんいることだろう。
現に私自身、この問題について何年間も悩み、類書を読み漁っても解決策は出てこなかった。
しかし、ようやく今回、ひとつの「型」のようなものを考え出すことができた。
嘘偽りなく私が自分の頭で思いついたものだが、世界中のどこかで既に同じことを思いついた人がいるかもしれない。
その点はご留意いただきたい。
ドン・キャンベルの考えた「ストーリーの黄金律」は、次のような流れだった。
1 日常(主人公は日常で生活しながらもどこか不満を感じている)
2 分離(ある出来事が起こって主人公が日常から分離される)
3 敗北(最初の敗北を喫する)
4 試練(訓練などによって欠点を克服した主人公が敵に挑む)
5 勝利(試練を経て勝利を手にする)
6 帰還(成長した主人公が日常に戻る)
「こんな流れをプレゼンで話すなんて不可能だ」と言うのは、極めてもっともな見解だ。
そこで、私は「ストーリーの黄金律」は、聴衆を「感情移入」させるためのひとつのツールだと考えた。
わけても、主人公らが絶体絶命のピンチに陥る場面は、聴衆の「感情移入」をもたらす汎用性の高いパターンだ(「絶体絶命ピンチパターン」)。
ドラマなどでよく使われる「しみじみ回顧パターン」は、聴衆が同様の経験値を持っていないと「感情移入」ができない。
短いプレゼンでは、「絶体絶命ピンチパターン」を折り込めばいい。
しかし、それだけでは不足だ。
聞き手に解決能力がなければ、プレゼンとしての意味をなさない。
また、「絶体絶命ピンチパターン」の絶体絶命は、聞き手の誰もが手を差し伸べたくなるような「大義」を持ったものでなければならない。
例えば、裕福な友人に借金を頼む場合、「まともに飯も食えない状態なんだ(絶体絶命)、少しでいいからお金を貸してくれないか(聞き手に解決能力あり)」と頼むのが「絶体絶命」と「聞き手の解決能力」の2つの要素を組み込んだ一種のプレゼン(?)だ。
それに対し、「子どもたちが空腹で苦しんでいる(大義のある絶体絶命)、少しでもいいからお金を貸してくれないか(聞き手に解決能力あり)」は、「子どもたちのピンチ」を救わなければならないという「大義」が加わっている分、遥かに説得力のあるプレゼンになる。
まとめると、「絶体絶命ピンチパターン」と「聞き手の解決能力」という2つの要素に、「聞き手が動くための大義」を加えれば、ストーリー的プレゼンや演説は完成する。
Himarayaでの音声配信では2つの実例を挙げて説明したが、スティーブ・ジョブズのプレゼンやキング牧師の演説もこのパターンで説明できる。
実例を用いての分析は、稿を改めて順次ご紹介していく予定だ。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年7月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。