オウム死刑囚は再発防止のための研究材料にすべき --- 阿部 等

寄稿

海外でも報じられた麻原らへの死刑執行(CNNニュースサイトより:編集部)

さる7月6日、一連のオウム事件の首謀者で死刑が確定している13名中、麻原彰晃を含む7名の死刑が執行された。

1995年の事件当時、警視庁の寺尾捜査一課長が「国家転覆の危機」とまで言い、全力で捜査を進めていた。また、読売新聞は、正月の1面トップでオウム真理教によるサリン製造の疑いをスクープしてサリンを処分せざるを得なくし、地下鉄サリン事件では処分しそこなったサリンのみが使われた。江川紹子さんによる繰返しの問題提起も有用な役割を果たした。

こういった使命感を持った人たちの地道な、命を掛けた努力のおかげで、地下鉄サリン事件はあの程度の被害で済んでいたのだ。

さて、今回7名の命を絶ってしまったことを、実は私は残念に思っている。刑が重過ぎるという意味ではない。今後の同種事件の再発防止のために、死刑囚たちを各種の研究材料にしたらよかったのではないだろうか。

麻原は、裁判の途中から“詐病”とも言われつつコミュニケーションが取れなくなり、研究材料にしてもあまり成果を得られなかっただろう。一方、他の死刑囚は後悔や反省の態度を示す者も多く、贖罪や遺族への懺悔のためにも研究に協力的に応ずるのではないだろうか。

7人の命は取返せないが、残る6人の死刑囚は、国家管理の下、一生涯、脳科学・発達心理学・教育学などの研究材料とすることを提案する。社会に居場所を見出せない人を減らす方策を皆で考えるヒントを得られるのではないだろうか。

最悪犯の麻原は、できるなら、脳を解剖すべきではないだろうか。あれだけのことをしでかした人間の脳だ。脳科学の専門家が解剖したら、ひょっとして特異な点を見出し、今後、同種の人間を社会から見つけ出すヒントを得られるかも知れない。

こんなことを思い付いたきっかけは、6月9日の東海道新幹線での殺傷事件だ。小島容疑者の犯行はあまりに残虐で、情状酌量の余地はなく、ヤフコメでも極刑に処すべきとの意見が圧倒的だ。被害の拡大を抑えて犠牲となった梅田さんのご遺族の無念を思っても、死刑は適切だろう。本人もそれを望んでいるようだ。

その上で、死刑にすべきでないと提案する。

彼は両親と不仲になり、養子となった祖母との同居も長続きせず、事件の直前は野宿生活を送っていたという。その時、どれだけ心細かっただろう、悲しかっただろう、この世に生まれたことを恨んだだろう。だからと言って、あんな犯罪を犯してよいはずはない。

だからこそ、死刑にせず、国家管理の下、一生涯、脳科学・発達心理学・教育学などの研究材料とすることが、社会のためにもなり、彼がこの世に生まれた意味にもなるのではないだろうか。

どんな環境で育ち、どんな教育を受け、どんな経験を積むと、あんな凶悪なことを実行するようになるのか。オウム死刑囚も同様だ。事件当時、「どうして高学歴の若者たちが多数、麻原に心酔していったのか?」と盛んに言われたが、その謎はいまだに解けていない。本人たちの命を絶ってしまったら、永久に謎は解けない。

いまだにオウム真理教を引継いだAleph(アレフ)には1500名近い信者がいて、麻原へ帰依しているという。また残念ながら、社会に居場所を見つけられない人は社会に一定割合で存在し、第二・第三の小島容疑者や秋葉原通り魔事件の加藤殺人犯が生まれない保証はない。

それを防ぐのに、犯罪の刑を重くしたり、社会の防犯体制を高めることも有効だろうが、そういった人を生み出さない社会の仕組みや教育体制を作ることの方がより重要ではないか。様々な反対意見もあろうが、犯罪を犯した者を断罪して極刑に処するのでなく、問題解決の知見を見出すための研究材料とすることを提案する。

関係する各分野の研究は、被験者は正常者ばかりでなく異常者も対象にしてこそ発展しよう。言いようによっては本人たちの人権侵害と取られかねないが、そもそも死刑とは最大の人権侵害であり、再発防止のための研究材料とすることは社会の理解を得られるのではないだろうか。

阿部 等   ライトレール 代表取締役社長
東京大学工学部都市工学科大学院修士修了。JR東日本(第1期生)に17年間勤務し、鉄道事業の多分野の実務と研究開発に従事。その後、交通問題の解決をミッションに株式会社ライトレールを創業。交通や鉄道に関わるコンサルティングに従事し、近年は鉄道に関する様々な解説にてメディアにしばしば登場。