ブラジルで元ナンバー1の資産家に懲役30年の判決が下ったワケ

転落したバティスタ氏(LA NACIONより引用)

2012年のフォーブス世界富豪者ランキングで300億ドル(3兆2400億円)の資産を持ち、7位にランキングされたブラジルで最もリッチな人物と評価されたエイケ・バティスタ(Eike Batista)に7月3日、懲役30年の判決がマルセロ・ブレタス裁判官によって言い渡された。

また、罰金として5300万レアル(15億円)の支払いが要求された。

その主な罪状は2007年から2014年の間にリオデジャネイロの州知事セルジオ・カブラルに1650億ドル(17兆8200億円)の賄賂を供給して、その見返りに公共事業を請け負っていたということと、コロンビアで金鉱山を買収したと偽って1億ドル(108億円)の資金洗浄をしたというのが理由だ。

エイケ・バティスタの成長は、ブラジルがルラ元大統領からルセフ前大統領の政権時の前半までの高度成長していた時と重なっている。彼は2007年のあるインタビューの中で、「私は全ての世代のブラジルの人たちが誇りに感じるように手助けしたい」と語った。そして投資家を前に、ブラジルは成長力があり、お金を稼ぎたい人達にとって彼がその為の最高の道先案内人であるかのように「私の競走馬はブラジルだ」「現在のブラジルは前世紀の米国が有していた富を持っている」と述べたのである。

いつも美人に囲まれたプレーボーイ。パーティーなどを頻繁に催し、彼が数台所有する超高級車、豪華船、ジェット機などに乗ってエンジョイしている姿が雑誌にも良く掲載されていた。

バティスタの母親はドイツ人で、父親は鉱山・エネルギー大臣を歴任した人物で、鉱山Vale がまだ国営であった時に社長にもなった人物であった。バティスタが比較的短期間に急成長できたのも重要なポストに就いていた父親から貴重な情報を得ていたと推察されている。

また事業発展に必要な資金はルラ元大統領やルセフ前大統領の政権時に彼らの支援を得て国営の経済社会発展銀行(Bndes :Banco Nacional de Desarrollo Económico y Social)から資金を得ていた

そして、彼の事業は鉱山、石油、エネルギー、造船、不動産、ロジスティック、観光、ガストロノミーなどに及んだ。

また、彼は慈善家であることを自負し、地元の警察にパトカーを寄贈し、2016年のリオ五輪に備えてロドリゴ・デ・フレイタスの汚染された湖の清掃にもその費用を負担した。

リオデジャネイロの中心地のホテル・グロリアに繋がる港の建設プロジェクトにもかかわっていた。そして、このホテルの改装も計画していた。

ラテンアメリカで最高の富豪家でフォーブスでも常にトップの一人にランキングされているメキシコのカルロス・スリムを2015年に追い越したいと公の場でバティスタは語っていた。しかし、その目標を達成する前に彼の企業グループEBXが崩壊を始めるということは彼自身も想像だにしていなかった。

因みに、彼の事業の社名にはEBXやOGXのように「X」をつけることを常としていた。それは数学の乗法にあやかったもので、事業展開が掛け算的に伸びるということを迷信的に信じてつけていたという。

彼の事業の崩壊は2012年半ばから始まるのであった。それは彼の石油企業OGXが予定されていた生産量を満たさないと認めてから投資家が彼の事業に背を向けるようになったのである。

それは丁度ブラジルが2014年から強度の景気低迷に陥る前触れであった。この時期にその後のブラジルで最大の汚職事件に発展したゼネコン会社オデブレヒトが公共事業の受注と引き換えに政治家や企業家に不正献金していたことが表面化して、エイケ・バティスタにもそれが波及するのであった。この汚職事件は一般にラバジャト汚職事件と呼ばれている。

この汚職事件が契機となってエイケ・バティスタの事業経営にも検察から捜査が及ぶようになるのであった。

彼が最初に起訴されたのは2014年のことで、バティスタが機密情報を事前に入手して彼の石油会社OGXの株の売却に利用したというのが理由であった。ところが、彼から押収したポルシェ・カイエンを彼の公判を担当することになっていたフラビオ・ロベルト・デ・ソウサ裁判官が乗車して市内で走行していたということが地元紙『O Globo』で報じられて同裁判官は職務停止処分を受けて、裁判は中断された。

その後、バティスタは一時的に自宅軟禁となっていた。それを利用して彼は母親がドイツ人ということで、ドイツのパスポートを使ってニューヨークに旅行していた。

ところが、政府官僚に賄賂を渡したという容疑で警察は逮捕状をもって彼の自宅に向かったが、不在であった。彼の弁護士は自分が保証人となってバティスタが帰国して警察に出頭すると誓ったが、連邦警察はインターポールに彼の逮捕を要請。その4日後にバティスタはニューヨークからの帰国の便から降りた時点で逮捕となったのである。

彼が最初に刑に服したのは昨年1月から4月の期間であった。15メートル平米の部屋にラバジャト事件で逮捕された6人と一緒に雑居していたという。

そして、前述したように7月3日、懲役30年の刑が言い渡されたのである。

全ての物を手中に収め、ビジネス誌でもブラジルでベスト企業家と評価されていたエイケ・バティスタは彼の傘下に収めていた全ての企業を失い、残りの人生を刑務所で送らねばならない運命となったのである。