マサ斎藤が亡くなった。こういう訃報は、最近、スマホのポップアップなどで無慈悲に伝えられることがあり。99年の引退直後からパーキンソン病と闘っていたと聞いていたが。まだ74歳だったのだが。突然の知らせに、驚き、戸惑っている。
自分にとって、マサ斎藤とは、「ザ・昭和のレスラー」である。東京オリンピック日本代表という実績、ならず者風の空気、実際に刑務所に入っていたなどの数々の武勇伝。一方、言ってみれば、会社から押し付けられるギミックや、周りからの期待をいちいち実践していたような。
マサ斎藤とは、名台詞の宝庫である。いまや、スピーチライターが書いたような、芝居がかったセリフを吐くレスラーだらけだが、マサ斎藤はナチュラルに名言の宝庫だった。と言いつつ、中にはスタッフが考えたようなもある。アントニオ猪木との巌流島対決での「俺は小次郎じゃないぞ」発言は番組プロデューサーが考えたという話をテレ朝関係者から聞いたことがある。まあ、よくある話だ。
ただ、マイクアピールや、解説席でナチュラルに飛び出す言葉は、名言だらけだった。
「新日本プロレスは、半端じゃないぞ」
「お前らのプロレスは、弱すぎる」
「(欠場中で同じ解説席にいた、まだ国会議員になる前の馳浩に対して)馳、お前たち(新日本プロレス本隊)がだらしないから駄目なんだよ」
などなど、どれも強さを感じる言葉だった。
そういえば、学生プロレス出身のテリー・ボーイ(当時 現:MEN’Sテイオー)が新日本プロレスのリングに上がった際に開口一番「上手い!」と評し。学プロ関係者の間では、あのマサさんが褒めたと、話題になったな。
なんせ、生き方そのものが彼の座右の銘「Go for Broke(当たって砕けろと、マサさんの追悼記事では約されているけど、辞書ではすべてを賭ける、とことんやるとも表記されている)」そのもので。その生き方に純粋すぎたのかなとも思っている。巌流島の試合をやること自体、その精神そのものであり。サービス精神とも言える。本当かウソかわからないが、本人のコメントでは、巌流島の試合後に缶ビール50本飲んだそうで。バケモノ感が半端ない。
また昭和が終わった感じがする。って、平成も終わるのだけれど。
合掌。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年7月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。