欧州に住んでいると、ロシア対西欧諸国の情報合戦をひんぱんに目にする。
例えば、今年3月、そして6月末に英国で発生した、神経剤「ノビチョク」による男女数人への攻撃だ。3月には英南部ソールズベリーで、ロシア連邦軍参謀本部情報総局のセルゲイ・スクリパリ元大佐と長女ユリアさんが一時重体となり、6月末にはソールズベリーから数キロ離れたエームズベリーでドーン・スタージェスさんと友人のチャーリー・ラウリーさんが意識不明となって病院に運び込まれた(7月8日にスタージェスさんは死亡)。
どちらの事件でも英政府はロシアの関与を疑っているが、ロシア側はこれを否定している。
4月、米英仏はシリアに爆撃を行ったが、これはシリア軍が東グータ地方ドゥーマー市で市民に「化学兵器を使用したこと」が理由だった。シリアとロシア側は「化学兵器は使われていない」と主張している(この件の詳細は青山弘之氏の記事に詳しい。米英仏のシリア攻撃の根拠となったドゥーマー市での化学兵器攻撃で化学兵器は使用されなかったのか?とシリア化学兵器(塩素ガス)使用疑惑事件と米英仏の攻撃をめぐる“謎”)。
いったい、何が真実なのか。非常に分かりにくい状況となっている。
イタリア・ペルージャで開催された「国際ジャーナリズム祭」(4月11日から15日)の中で、専門家がロシアの情報戦の内情について議論するセッションがあった。開催時から時間が経っているが、その内容は古くなっていない。議論の一部といくつかのほかのセッションを紹介したい。(新聞通信調査会が発行する「メディア展望」6月号の筆者記事に大幅補足しました。)
ロシアが仕掛ける情報戦 その実態とは
サイバー空間で偽情報を流し、外国の政治状況に影響を及ぼそうとする動きが目立つようになった。
兵器を使って互いの武力が衝突する戦争が「熱い戦争(ホット・ウォー)」、東西圏が互いをけん制する「冷戦(コールド・ウォー)」を経て、私たちは今「情報戦」(インフォメーション・ウォー)の時代に突入しているのだろう。
「中から弱体化させる -情報化時代のロシアの戦争技術」と題するセッションのパネリストは、以下の3人だった。
-オーストリアのジャーナリストで米「ニューリパブリック」にロシアの情報戦争に関しての記事(2017年12月)を寄稿したハンス・グラッシガー氏
-ロシアの独立系情報サイト「アゲンチュラ」の編集長アンドレイ・ソルダトフ氏
-ロシア語のメディア「メドューザ」の編集主幹ガリーナ・ティムチェンコ氏(ラトビア在住)
(以下はパネリストたちからの情報を補足し、整理した内容となっている。)
2009年、エストニアで何が起きたか
ハンス・グラッシガー氏:ネット上で繰り広げられる「サイバー戦争」 の「テスト」が大々的に行われたのは、2007年だったと思う。攻撃を受けたのは東欧のエストニアだ。
エストニア(人口約134万人)は北欧に位置し、東部はロシアと地続きだ。18世紀からロシア領となり、1918年に独立したものの、40年にソ連(1922~91年)に併合された。「ベルリンの壁」崩壊後、ソ連からの独立を果たしたのは、1991年。欧州への復帰をめざし、2004年には米国を中心とした国際的軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)、欧州連合(EU)への加盟を達成した。
エストニアには、NATOのサイバーテロ防衛機関の本部も置かれている。
ロシアにとってエストニアとは、「米国や西欧に顔を向けた国」と言える。
攻撃の発端
サイバー攻撃事件の発端は、4月26日、午前10時。エストニアの首都タリンで、ロシア系住民が暴動を発生させ、一人が死亡。数十人が負傷した。
暴動が発生する前、エストニア政府はタリンの中心部の広場に建てられていた、第2次世界大戦の英雄とされるソビエト兵の銅像を撤去することに決めた。
エストニア人にとっては、ソ連領となった過去を思い出させる銅像だ。国内のロシア語を話す住民(人口の約25%)にとっては、銅像はファシズムを追い出した英雄だ。
26日夜、国会、大学、新聞社のウェブサイトへのサイバー攻撃が始まった。多数のパソコンから標的にアクセスを集中させ、機能停止に追い込む「DDoS(ディードス)」攻撃が中心となり、エストニアの電子ネットワークが打撃を受けた。
エストニアは最も電子化が進んだ国として知られる。政治の透明化、オープン化をモットーとして電子化を進めてきたエストニアだが、これが逆にあだになった。
攻撃の発信源は170カ国を超え、8万台を超える「ボット」(乗っ取りパソコン)が使われた、通信量は通常の400倍に上った。
5月10日には国際最大の銀行ハナサバンクがオンライン・サービスや国際カードの決済を停止せざるを得なくなった。
5月19日、攻撃は止んだ。にっちもさっちもいかなくなったエストニア政府が電源を一切切ってしまったからだ。
ロシア政府が背後にいたという見方が強いが、攻撃の責任を負わされた人・組織はいない。
いったい、誰がやったのか。何が目的だったのか。今でもその全貌は明確になっていない。
1998年に、ロシアの軍事アナリスト、セルゲイ・ラストルゲフ氏が「情報戦争の哲学」という本を出している。これによると、現代の紛争で最も効果的な武器は情報だという。正確に言うと「ディス・インフォメーション(偽情報)、フェイクニュース、ソーシャルメディアの煽情的な情報」だ。
サイバー戦争の核となる考え方は心理的な操作で、これによって敵国を内部から崩壊させること。ある考えを持つ国民と別の考えを持つ国民とを分断させ、国の亀裂を大きくしてしまう。
「メドューザ」の編集主幹ガリーナ・ティムチェンコ氏:2015年、ポーランドのあるエンジニアがロシアのIT企業に雇われた。職務は表向きにはITシステムの管理だったが、実際にはウクライナ国防省を攻撃する仕事だったと聞いたことがある。
「アゲンチュラ」の編集長アンドレイ・ソルダトフ氏:
ロシアは1999年から変わった。これは第2次チェチェン戦争(注:チェチェン紛争=ロシアからの分離独立を目指すチェチェン共和国とロシアとの間で,1994年から2度にわたり行われた民族紛争)の時だ。
ロシアがチェチェン地方に本格的に軍隊を送ったのは、1995年から96年にかけて(注:こちらでは1994年12月から侵攻)と、99年だ。なぜ2回も兵が送られたのか、なぜ最初に解決できなかったのかを国民は知りたがった。政府は、派兵が失敗したのは「メディアのせいだ」と言った。ロシアはメディアを通じて外国からの脅威にさらされているのだ、と。
ロシア政府は(サイバー攻撃が)アウトソースできることを学んでいる。攻撃に実際に手を下している人物は学生かもしれない。政府が直接関わるわけではない。
2016年には米大統領選や英国の欧州連合(EU)からの離脱をめぐる国民投票があった。昨年にはフランスの大統領選があった。こうした選挙の背後にはロシア政府が関与していたのどうか。
私は、ロシアがもし関与していたとしても、インパクトがあったのかどうかは疑問だと思っている。
「サイバー戦争」と「情報戦争」
ソルダトフ氏:西側とロシアのサイバー専門家とのあいだにはその認識に隔たりがある。例えば、西側は「サイバー戦争」と言っているが、ロシアは「情報戦争」と言う。
ロシアはジャーナリストを「兵士」として扱うが、西側はそういう風にはしたがらない。例えば、ロシアは米CNNや英BBCの記者を兵士と見ている。
しかし、2016年、西側もメディアを「兵士」として使えることを知ったのだと思う。(ロシア側の論理を浸透させたという点からは)ロシアは成功した、と言える。両者にとって、危険な状態だと思っている。
ティムチェンコ氏:ロシアの 戦略は人を怖がらせることだ。1人犠牲者を見つけて、その人を処罰するやり方だ。
プーチン大統領には外向けと内向けの戦略がある。例えば、ロシアの国際報道局「RT」の視聴者数が実数よりもはるかに大きいとしている。現在、自分はラトビアに住んでいる。ロシアの通信社「スプートニク」のラトビア語版は1万人が読んでいると言われているが、それほど多いかどうかを疑問に思っている。
プーチン大統領が人々に恐れを植え付けたがっているのは確かだ。
司会者: 選挙の際には、どのような情報戦を行っているのか。
グラッシガー氏:エストニアの場合は、ディス・インフォメーション を与えていた。ロシア語のメディアやソーシャルメディアが常に攻撃をかけてくる。「情報戦争」と言う言葉を使わざるをえない状況だ。
ソルダトフ氏:その戦略は、非常に洗練されている。
しかしその一方で、私が運営する、政権に批判的なニュースサイトも、野党の党首のウェブサイトも閉鎖されておらず、非常に人気がある。国外では強面、国内ではソフトに、という奇妙な矛盾がある。国外と国内で戦略を変えている。混乱させるために異なる文脈を使っている。
ロシア政府はネット上の情報戦争を抑制することができていないと思う。プーチン大統領にとって、インターネットは大きな挑戦だ。コントロールすることが難しいからだ。
司会 サイバー空間で冷戦が起きていると聞くが。
ソルダトフ氏:その始まりは1990年代だ。1998年、コソボ紛争が発生し、NATO軍がユーゴスラビアの首都ベオグラードの軍事施設を空爆した(1999年)。空爆は国連安全保障理事会の決議を経ておらず、国際世論の批判を招いたが、これはロシア政府にとっては好機だった。「西側がロシアを裏切った、偽善的」と非難することが出来たからだ。
2008年、グルジアからの独立を主張する北部南オセアチアをグルジア軍が攻撃し、ロシア軍がグルジアに侵攻した際も、ロシア政府は「BBCやCNNが偽善的な報道を行った」と主張し、ロシアの国民の信頼を得た。このようなパターンが繰り返されている。
元来、プーチン大統領の支持者は地方が多かったが、都市のリベラル層に対しても西側諸国の行動を反ロシア的として認識させることで、プーチン支持に結び付けた。
グラッシガー氏 :サイバー攻撃についていうと、プーチン大統領が背後にあるという証拠は得られなかった。しかし、さらに調査をしてみると、例えばプーチン大統領の知人らが関与していた。「大統領を喜ばせるためにやっている」と聞いた。プーチン氏を喜ばせるために行動を起こす人がロシアには沢山いるのだ、と。
ティムチェンコ氏:「トロール」を生み出すサービスを運営する人は、プーチン政権下で富裕になったので、「ありがとう」ということだろう。
ソルダトフ氏:いわゆる「トロール工場」は2014年にできたと認識している。しかし、「プーチン氏を喜ばせるため」というのは、どうか。
2年半ほど前にプーチン氏は変わった。もっとマイクロマネジメントになった。多くの件で自分が関与するようになったとは聞いているが
しかし、「天才」ではない。
例えば、ロシア政権はFacebookをどう使っていいか分からない状態だ。私が聞いたところでは、「ソーシャルメディアも全く何だかわからない」と言っていた。
司会:大量の人を監視する(「マスサーベイランス」)仕組みはどうなっているか。
ソルダトフ氏: ロシア政権はパラノイアになっている。ネット上のマスサーベイランス体制をどう導入するかが課題になり、2015年ごろから17年にかけて、中国から専門家を呼んだ。中国側もこれに嬉々として応じた。
データの保管や監視ソフトについて協力を得ていたが、途中でこのプロジェクトは終わってしまった。それはロシア連邦保安庁がパラノイアになったからだ。中国がロシアに入り込んでしまうことを危惧したからだ。だから、本当の意味のネットの監視体制は構築されていないと思う。
会場からの質問:西欧諸国でも、マスサーベイランスが行われているのではないか。
ソルダトフ氏:「マスサーベイランス」と言っても、民主主義の国と独裁主義の国とではその意味するところが違う。民主主義の国ではメディアの動きも違う。
ティムチェンコ氏:何かあると、「西側の干渉だ」というのがプーチン氏の論理。ロシアが米国の大統領選に干渉しようとしたのかと聞かれれば、「そうだ」と答えるだろう。しかし本当にできたのかどうかというと、疑問だ。
プーチン大統領だけが信頼されている理由とは
ソルダトフ氏: プーチン氏が政権の中枢部に入ってから、18年となった。他にはトップになるべき人が誰もいないような状態になった。これには理由がある。
プーチン氏は、他の組織の意義を抹殺しようとしてきた政治家だ。それは組合であったり、政党であったり、企業であったり、官僚であったり、メディアであったりする。人々はこうした組織を信じないようになった。信頼できる人は、たった1人。それがプーチン氏、というわけだ。
例えば、ロシアではテレビの番組で堕落したジャーナリストを殺すというストーリーの番組があった。こうした番組を通して、国民はジャーナリストを堕落した存在と見るようになった。
少し前までは、ジャーナリストと言えば一目置かれていたが、今では、「300ドル払えば、何かいいことを書いてくれるのか」と言われる。
議会の意義も、国民は忘れている。
ティムチェンコ氏:ロシア政府は、ジャーナリストが真実を言っていない、と言う。
私自身は、誰もがそれぞれの「アジェンダ」(議題、意図など)を持っていると思う。プーチン氏はこれからも戦っていくと思う。私の見方は非常に悲観的だ。
ソルダトフ氏:楽観的なことを最後に言いたい。(米大統領選があった)2016年、世界中の人々がようやくロシアについて考え出した。どんな国なのか、何が起きるのだろうか、と。(関心が高まったことは)良いことだと思っている。
「おそらく、ロシアがノビチェク事件の背後にいる」
セッション終了後、筆者は3月の「ノビチョク事件」についてソルダトフ氏に聞いてみた。英政府はロシアに責任があるとし、ロシアは関与を否定している。
ソルダトフ氏は諜報情報の専門家だ。「100%、ロシア政府が背後にあるとは言えない。しかし、過去の例やそのほかの事情を考慮すると、政府が背後にいたことを否定するのは難しい」。
危険にさらされるジャーナリストたち
日本や筆者が現在住む英国にいると実感しにくいが、ジャーナリストが政府や暴力組織などから攻撃を受けることは世界各地を見ると決して珍しいことではない。セッション「反撃する -攻撃に対して、いかにジャーナリストが反応するべきか」をのぞいてみた。
フリーランス・ジャーナリストのアイリーン・カセリ氏はラテンアメリカ諸国のメディア状況に詳しい。同氏によると、メキシコはジャーナリストにとって「非常に危険な国」だ。1990年代から1000人以上が殺害されているという。自衛手段として作ったのが「サラマ」という名前のアプリ。記者2人が1つのチームとなり、30分ごとに互いの安全性を連絡しあう。
一方、経済が悪化するアルゼンチンでは「2015年以降、3000人を超えるジャーナリストが職を失った」。失職状態となったジャーナリストたちが立ち上げた新聞「ティエンポ・アルゼンティーノ」(3万5000部)は、働く人がお金を出し合う共同体形式で発行されているという。
米ニーマン財団のアンマリー・リピンスキー氏は、「かつては、戦場取材の際に記者は危険な状態に置かれた。今はどこも危険な場所になってきた」。
「性の暴力は女性を黙らせる道具だ」
昨年秋以降、性的ハラスメントや暴行に対して声を上げる「MeToo」運動が世界的に広がっている。ジャーナリズム祭ではこれをトピックにしたセッションが複数開催された。
「性の暴力は女性を黙らせる道具だ」というセッションでは、米国、エジプト、英国、スペインで取材をした女性ジャーナリストらがパネリストとなり、それぞれの体験談を語った。
米慈善組織「デモクラシー・ファンド」のトレイシー・パウェル氏は米国の新聞社で記者として働いていた時の様子を伝えた。米国では人種を扱った記事を書くと攻撃を受けやすいという。特に攻撃対象になるのが女性で、「レイプするぞ」などのコメントをメールで送ってきたり、住所を探り出して家族にハラスメントをしたりするという。「引っ越しを余儀なくされた女性が何人もいる」。かつての自分の体験も含めて、つらそうに話す様子が今も忘れられない。
ジャーナリストが安全に働けるようにガイドラインを作る報道機関が増えてはいるものの、性的ハラスメント、暴力を含む性的攻撃への対処策は想定外となっていることが多いという指摘があった。
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編集部より;この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2018年7月19日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。