「本が売れない」「出版不況だ」…数年前から出版業界に厳しい逆風が吹いている。
最大の原因は「余暇時間の争奪戦の激化」だろう。
Amazonのプライム会員であれば、会費の範囲内で動画配信見放題。Netflixやfulu、dTVなども1ヶ月の料金が単行本1冊の値段よりも安い。
YouTubeやSNSに至っては無料でいくらでも時間潰しができる。
つまり、余暇時間を楽しむサービス全体としては、明らかに供給過剰だ。
供給過剰(超過供給)であるにも関わらず価格調整がなされなければ販売量が減少して、書籍が売れなくなるのは「需要供給曲線」を描くまでもなく自明の理だ。
動画配信やSNSを別の財と考えて書籍だけの需要を考えても、代替材に流れてしまっている分、書籍の需要曲線は左側(左下方)にシフトしてしまう。
需要と供給で考えれば、価格が下がることによって調整されるはずだが、書籍の価格は硬直的なのでこれまた超過供給となって売れ残りが増える。
書籍の価格が硬直的であるのは様々な理由があるだろうが、製本、流通などのコストを考えれば大安売りはできない。
私が不思議に思うのは、電子書籍の価格が高すぎることだ。
製本コストも流通コストも在庫コストもいらないのに、紙の書籍とあまり値段が変わらないのが不思議でならない。
洋書を見てみると、日本の書籍のように電子書籍の値段が高いものもあるが、新刊ペーパーバックの半値以下、3分の1くらいで売られている書籍もたくさんある。
どういう違いがあるのかわからないが、価格設定が柔軟になされていることだけは確かだ。
日本の書籍のように、一律で紙の書籍に近い値付けでは決してない。
私は、数年前、電子書籍こそが出版市場を蘇らせる決定打だと考えていた。
製本、流通、在庫…等々のコストがかからない分、他のサービスに十分対抗できる価格設定が可能だからだ。
しかし、現在の硬直的な価格設定を見るにつけ、暗然たる思いに打ちひしがれている。
新刊本を出版する費用を、電子書籍収入で賄っているのだろうか?
最も大切なことは、書籍は(新聞や雑誌のような)消耗品では決してないということだ。
(新聞や雑誌の記事でも、後世に残す価値のあるものは書籍化されている)
良書は年月を経ても輝きを失うことはなく、後生に受け継がれる価値がある。
私自身の愛読書も(今となっては)古典となった部類が多く、一番の愛読書は富田常雄著「姿三四郎」だ。
今までの人生で、5回くらいは再読している。
そのような書籍には、(たとえ電子であっても)相応の対価を支払う価値があるが、数ヶ月も経たないうちに存在すら忘れてしまう書籍と同等の値付けであることには納得がいかない。
読書は想像力と思考力を高め、全く未知の世界を追体験させてくれるという意味で、他の媒体より遙かに優れた機能を持っている。
小中高の生徒にとって、学習参考書や問題集は紙のものの方が絶対に優れていると考える。
書き込みや色分けができるし、ペラペラとスキャンするように読むことも出来る。
該当ページの前後も記憶として残すこともできる。
個人的には、英和辞典等も学習参考書の一種なので紙の方が優れていると思っている。
拙著「受験手帳」は、本来新たに中学受験生になる親子のための参考書としての位置付けなのに、紙の書籍の在庫は出版社に一冊もなく、電子だけになってしまった。
少子化が進んで学参等の売り上げが低下すれば、紙の学参等の価格が上がるのではないかと密かに危惧している。
紙の書籍であることが必須であるものとそうでないものを区別して、小説のように電子で賄えるものは、最初から電子の比率を高くして安価に販売することができないものだろうか?
書籍を読むのが中高年以降の人たちが多いという事実や、リアル書店の経営という難題も山積しているのだろう。
様々な難問は山積しているだろうが、その場しのぎの対策だけでは書籍市場は守れない。
何とか抜本的な改革がなされることを願ってやまない。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年7月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。