米中の貿易摩擦が深刻化している。米国へのダンピング製品として槍玉に上がっているのが、異常ともいってもいい廉価な太陽光パネルだ。きのう7月21日の日経新聞は、その煽りを日本が受けるとした「太陽光パネル、衰退日本勢に「とどめの一撃」懸念」という扇情的な記事を書いている。
日本の太陽光パネルメーカーが新たな荒波に直面する。中国政府の政策転換や米国の保護主義を背景に、安いパネルが日本に流れ込む。国内勢は2017年に初めて海外勢に国内シェア首位を明け渡したが、反転攻勢の糸口は見えない。
中国は太陽光発電と蓄電池と電気自動車で世界覇権を取ることに国運をかけているといっても過言ではない。もともと中華思想の国で、国民のインテリジェンスレベルも高い。経済発展で得た国力で領土拡大を指向するのは自然な流れだ。そこで習近平政権は一帯一路を掲げて2013年に、日米が主導するアジア開発銀行(ADB)への対抗として、アジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立した。
AIIBの総裁は発足時から現在に至るまで、金立群(ジン・リーチュン)氏が務める。この人、無茶苦茶頭が切れて、人格者で、人望が厚い。なぜそう断言できるかというと、僕はアジア開発銀行(ADB)時代、彼の部下だったからだ。彼は南アジアと東南アジアを担当する部局の副総裁を2003年から2008年まで5年間務めた。ちなみにその時の総裁は現日銀総裁の黒田氏だった。部下といっても、僕が金氏と直接会ったことは数回しかない。彼は、非常に陽気で気さくなおじさんだったが、目が笑っておらず、滲み出てくる知性や胆力がいりまじたオーラが半端ではなかった。僕が今までの人生で出会ったうちの最もインテリジェントな人物だ。
これは英語版Wikipediaには書いていないが、(もちろん中国語版Wikipediaは存在しないが)、彼は浙江省に生まれたが、19歳の時に運悪く文化大革命の荒波に巻き込まれて、江蘇省の農村に29歳まで下放された。その日々を我々に語ってくれたことがある。昼間は農作業をさせられていたが、夜、納屋で隠れて懐中電灯を片手にシェイクスピアを原書で読んでいたそうだ。それをジョーク混じりに語っていた。彼は、太陽光発電を中心とするグリーン経済の必要性を力説していた。それは、共産党員としてのポジショントークには見えず、本当に信じている様子だった。
これも偶然だが、AIIBの筆頭副総裁も僕は大変よく知っている。彼の名はD J Pandian(パンディアン)。インド人だ。日本の多くの人は誤解しているのだが、インドと中国は完全に敵対しているわけではない。是々非々で非常に密接な関係にある。そこには、欧米も日本も分け入ることができない。世界は大変複雑になっている。
事実、AIIBには欧州も含め6人の副総裁がいるが、オペレーションを担当しているのはPandian氏だけだ。彼はAIIBのChief Investment Officerでもあり。他の五人はアドミを担当していてプロジェクトに触らせてもらっていない。
Pandian氏は僕がADB時代にインドに太陽光発電を普及する融資を組成した時のグジャラート州の電力局長だった。といっても地方の職員ではなく、IASといってバリバリの選ばれしキャリア国家公務員が一時的にそのポジションにいたわけだ。彼は世界銀行に出向してその官僚主義に辟易していて、初めて彼にあった時(2009年のことだ)は僕が「ADBからの融資で太陽光発電所作りましょうよ」と提案しても非常に懐疑的だった。「ADBは遅いし面倒臭い。さすがに無理だろまだ太陽光発電は。」それから、アーメデバードという州都(今度日本の新幹線が通る終着駅だ)の彼のオフィスに説得工作を試みて何年間も足を運んだ。どの業界でも気合と根性で営業活動することは必須な作業だ。
日本にも連れてきた。日本政府の力を借りて、東京のプリンスホテルで500人集めてADB主催で各国の官民の要人を招いて太陽光発電の推進のための国際会議を開いた。当時の財務副大臣と経済産業副大臣にスピーチを賜った。東日本大震災が起きる4ヶ月前の話だ。今だから言うがあの会議を開催した目的はパンディアンに来日してもらい大規模太陽光発電所建設の説得工作を展開するために仕組んだものだった。
堺にあったシャープの工場の脇に関西電力が建てた太陽光発電所に連れていった。ポケットマネーで京都に連れていって三十三間堂を案内して湯豆腐を食べさせた。(三十三間堂には仏像の他にヒンズー教の神様の木像が4体あって、これがインド人の心を打つのだ。)で、長年にわたる説得活動で、よしやろうということになった。インド政府は一度決めるとアクションは速い。「酒井、1年以内に完成させろ。州議会選挙も近いから目玉政策にする」とハッパをかけられる側に回った。
それは1年以内に50万キロワット(当時世界最大)の太陽光発電所を民間企業の投資によって建てさせるための発電所団地を砂漠の真ん中に整備して、送電線と水道管を整備して、国内外で投資家説明会を開いてオークションで区画を割り当てるという結構大変なミッションだった。
僕とPandianは中央政府を説得するために、ニューデリーの財務省や電力省に何度も足を運んだ。もちろん、ADBの理事会を通すのも大変だった。しかし、我々はそれをやり遂げた。環境アセスをして、土地を整備して、送電線を引っ張って、水道管をつなげた。
そしてついに2012年4月19日に州首相を呼んで盛大に開所式をして祝った。その時の新聞記事がこちらだ。僕もインドではちょっとした有名人になった。2012年7月に日本で全量買取制度が開始される少し前の話だ。
そして、その時の州の首相こそ、ナレンドラ・モディ、今のインドの総理大臣だ。彼にはビジネスの才覚と突破力があった。パンディアンは彼の懐刀だった。下の写真は、開所式でモディ州首相(当時)に説明するパンディアンだ。
除幕式典には1万人を超える関係者が集まった。モディ首相と僕で除幕した。これがその写真。中央左がモディ首相で礎石に当たるものを挟んで右に立っているのが僕だ。一番左の末席で手を叩いているのがパンディアンだ。
僕としては、日本企業にもっとインドに参入してもらいたかった。だから、シャープと京セラの幹部をモディに引き合わせたりもした。某メガバンクで今は常務になられている女性役員を現地にお連れしたりした。でも、結果として中国の威信をかけた物量作戦の前には歯が立たなかった。この発電所には一部シャープ製とソーラーフロンティア製が入ったが、残りはほぼ中国製だった。
この官民連携による太陽光発電所団地(Solar Park)モデルはモディさんが総理大臣になった今も、インド全国大に拡大中だ。それどころか、インドの外交戦略の一翼を担っている。2015年11月にパリでCOP21という会議があった。その成功のキャスティングボードを握ったのがインドだった。インドが加われば成功、そうでなければ失敗という状況だった。その様子を記載したフォーブスの記事を引用する。
インドは自国のエネルギー安全保障と経済的な利益に合致する方向で国際的な方針を形成すべく、積極的な提案を携えてパリに現れた。太陽光発電に熱心に取り組んできたナレンドラ・モディ印首相はフランソワ・オランド仏大統領と共に、新たな「国際ソーラーアライアンス」を始動させた。宣言では、「持続可能な発展とユニバーサルエネルギーへのアクセス、エネルギー安全保障」と共に「全ての人にとって安価な、クリーンかつ再生可能なエネルギー」の創出の重要性を強調している。インドの太陽光発電の可能性、2022年までに太陽光発電の設備容量を100ギガワットまで急拡大するという既存の公約を考慮すると、インドはこのイニシアチブによって、国内で既に実現を公約したエネルギー政策を巡り、国際的なリーダーとしての役割を担うことになる。ソーラーアライアンスはより貧しい国のためにソーラー技術のコストを引き下げる方法を模索することで、国際的な投資の約束をより幅広く呼び掛けると共に、ソーラーに関するインドの強みを活用することになる。
最後に、上記と関連することだが、パリ訪問中のインド代表団は国際的な交渉を危機に直面させるどころか、合意に前向きな姿勢だとの報道がある。
これは噂で聞いたところだが、インドはこの国際ソーラーアライアンスに関してオランド仏大統領(当時)がMOUに署名をすることをパリ協定参加の条件としたそうである。そして、そのMOUに関してオランド仏大統領(当時)は、米国に一切通告しなかったそうだ。これがオバマ大統領(当時)の逆鱗に触れたそうだ。そして、インドの外務大臣はわざわざワシントンまで呼び出されて、米国務長官から「米国は国際ソーラーアライアンスなど認めない」と通告されたそうだ。ところが、そのオバマ大統領も過去の人になった。トランプ大統領はそんなもの興味ないだろうから、物怪の幸いとインドは中国製のソーラーパネルを担いで国際ソーラーアライアンス活動を特にアフリカに向けて展開している。
僕は去年の6月にADBを退職したが、未だに北京のAIIB本部にいるパンディアン副総裁とはチャット仲間である。彼に呼ばれて、北京の金融街にあるAIIBオフィスにも先日遊びに行ってきた。
僕は敢えてADBを早期退職して日本に帰ってきた。それは恐らく、これからはメガソーラーからIoTやブロックチェーンを活用した分散型太陽光発電モデルが普及するだろうと考え、それなら日本が発信源になりうると考えたからだ。そこで株式会社電力シェアリングを立ち上げた。最初の日経新聞記事の半分は本当で半分は本当でない。それは、メガソーラーの9割は中国製が占めるが、住宅用では6割が日本製であるということだ。更に言えば、これからの勝負のポイントは太陽光パネルそれ自身の廉価性にあるのではなく、電力系統も含めた一体型サービスに移っていくということだ。だから、日本はまだまだとどめを刺されることはない。僕は日本発ソリューションを担いで国際ソーラーアライアンスと一緒に世界に売り歩こうとすら思っているし、彼らとのコンタクトを欠かさずにいる。