努力ということに関しては、嘗て当ブログでも『努力に無駄なし』(16年11月7日)や『努力の重要性~人間の差を生むもの~』(12年7月26日)、あるいは『目標・努力・自信・成長』(16年2月12日)等々で様々に論じてきました。本ブログでは以下、努力できる人と出来ない人の差異につき簡潔に述べて行きたいと思います。
結論から申し上げれば、私は努力とは習慣の産物だと思っています。安岡正篤先生は「人間には本質的要素と附属的要素、すなわち本性と属性があり、もう一つ大事な習性というもの」があると言われ、「徳性は人間の本性であり、知能・技能は属性であり、習慣は徳性に準ずる。三者相待(あいま)って人間を大成する」と「学生憲章」の「第一章」に挙げられています。
先生はまた、「そもそも習という字は、上の羽ははね、下の白はしろではなくて鳥の胴体の象形であります。すなわち雛鳥が段々成長して、親鳥の真似をして羽を広げて翔ぶ稽古をするという意味であります。そこで人間はなるべく早いうちに良い習慣を身につけさせる、之は徳性に準じて大切な事であります」とも述べておられます。
「習慣は第二の天性である」とか「習(ならい)、性となる」、あるいは「人生は習慣の織物である」とかと言われる位、習慣は人間にとって非常に大事であり、人間たる本質的要素に加えることも出来ると思います。子供の時から、一つのものを成し遂げる為あらゆる努力をして行かねばならない、と親が習慣づけることが大変重要になるのです。
上記あらゆる努力を分かり易く言えば、睡眠時間を削るとか遊ぶ時間を減らすとか、あるいは目標達成の為いかなる知恵を出し、どれだけの犠牲的な精神を発揮してリーダーシップを執るかとかといった類を指します。努力できるか否かは終局、習慣そのものの有無に尽きるのではないかと思うものです。
「つとめても なおつとめても つとめても つとめたらぬは つとめなりけり」という道歌があります。安岡先生も言われるように、「努めるということも――天地・宇宙は限りないクリエーション(創造)でありますから、われわれも常に何者かを生む努力をしなければなりません――大切な徳性」です。私は人間として、努力し続ける姿勢を持つことが大事だと思います。
『易経』でも「天行健なり。君子は以って自彊して息(や)まず」とあります。之は、「太陽は一日も休むことなく動いている。それと同じように君子たるものは一日も休むことなく、努力し続けないといけません」ということです。
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