発言して刺される社会は最悪だが、発言しない社会も怖い

常見 陽平

盟友中川淳一郎が東洋経済オンラインに寄稿していた。

SNSの発言が本人の人生を破滅させる恐怖 「何も書かない」が最良の選択ではないか| インターネット- 東洋経済オンライン

タイトルだけでなく、ちゃんと中身を読んで頂きたい。

簡単にまとめると内容は

  • 著名人で、過去の(著名になる前など)のSNS投稿が批判され、失脚した人がいる。
  • 友人Hagex氏がネット上で問題のあるは発言をする人に対して警告行動を行なっていたら刺殺された。
  • SNSで発言する意味とは何だろう。

というものである。

一読し、Hagex氏の死について、深く傷つき、悲しんでいることが伺える。私もあの事件には衝撃を受けた。ネット上のやりとりだけでなく、お会いしたこともあり。中川淳一郎の悲しみは想像していたものの、猛反省した。想像以上に彼は傷ついていたのだ、と。

もっとも、「ネットの発言はリアルの生活を破壊するほど、人の恨みを買う」という意見には同意するものの、だからと言って何も書かないというのは違う話ではないだろうか。また、私もHagex氏が刺されたことについては、激しく悲しんでいるという前提で読んで頂きたいのだが、ネットでのトラブル(紹介されている事実からするならば、Hagex氏は正しいと思うのだが)と、刺されたという件は一部はわけて考えるべきではないか。

最近、「社会の“変え方”を変える」という論点が気になっている。たしかに、ネットで何かを訴えかけただけで世の中が変わるわけではないし、デモや署名については、その存在は認めつつも必ずしも社会を変えるわけではない。そもそもの選挙制度にだって問題がある。新しい社会の変え方はないものかと日々考える。

ただ、今の日本、いや世界において怖いのは、萎縮やアパシー化により何も言わないことではないか。今週などは何から話そうか混乱するくらい社会は問題だらけであり、さまざまな立場の人がさまざまなことを言うべきときなのではないかと私は考えている。

暴力をおそれ何も言えなくなることはもっとも恐ろしいことだ。それは、Hagex氏も望んだことだろうか。彼は死を望んでいたわけではあるまい。本当に悲しい事故だ。理不尽だ。しかし、ネット上の健全化ということを彼が目指していたとするならば、発言を萎縮してはいけないと思うのである。

私も大学に脅迫状や抗議文が何度か届いたり、ネトウヨに絡まれたりもした。一部は明らかに私の意見が稚拙だった部分もある。ただ、それでも私は意見を言う。それが論者としてだけではなく、市民として果たすべきことだからだ。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年8月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。